かけ出し日本語教師 in 中国

28歳独女、中国で奮闘中です

マルチリンガル

複数の言語を話す人

マルチリンガル」とは、簡単に言えばそういう人のことを指すそうなんですが、その人たちの頭の中って、一体どうなってるんでしょう。

 

国語学習歴

私がこれまで学習経験のある言語は、英語、韓国語、ベトナム語、中国語です。

 

英語は、たいていの人と同じく、小学校~大学の授業で勉強したものです。

あと、小~中学校のころ数年だけECCジュニアに通っていました。

高校時代は英語がいちばん得意な科目でしたが、現在のレベルは、うーん、完全に私の主観に基づく判断ですが、中級くらいですかね…

今でもたまに、職場の外国人教員同士で会ったときには英語で話します。

私はカタコト英語で応戦しています笑

 

韓国語とベトナム語は、大学・大学院時代に2週間ずつ現地の大学へ日本語の教育実習に行くために、サバイバル言語としてちょっと勉強した程度です。

韓国の実習には大学と大学院で1回ずつ行っているので、事前学習の期間と現地の滞在時間の長さが長い分、韓国語 > ベトナム語というレベルでしょうか。

どちらも、簡単な自己紹介ができる、文字を読むことができる、というだけの超ど初級なんですけど;

ていうか勉強したこともうほとんど覚えてないわ(^p^)

 

現在の中国語レベル

中国語は、いま住んでいる国のことばです。

が、いかんせん、意識的に使わなければ使わなくてもそれで済んでしまう環境で生活しているので、ここに8か月ほど暮らしているというのに、ほとんど中国語できない☆

 

【以下、言い訳】

・学生たちには「直接法(中国語や英語などの媒介語を使用せず、日本語だけで教える方法)」で授業をしている

・学科の中国人の先生方は、どなたも日本語が堪能

・先生方も学生たちも、私が中国語ができないことを知っているので、一切中国語を使わず日本語で話してくれる

・買い物は中国語を話さなくてもできる(スーパーでも八百屋でも)

(・授業準備に手こずりすぎて語学学習どころじゃなかった)

 

ざっと挙げただけでも、これだけの言い訳が見つかりました笑

というわけで、良くも悪くも中国語を使わなくても生活が成り立ってしまうという状況にあるので、その恩恵に浸ったまま、ろくに勉強もしないまま過ごしてきた結果、このありさまです/(^^)\

(もともと、中国語が使えなくても生活できる環境だとわかっていたから、使えないまま中国に来ちゃったんですけどね…)

 

私が今、中国語に関してできることといえば、

・拼音(※)がわかれば(ほぼほぼ)正しく発音できる

(※ピンイン。アルファベットと四声記号を使って表記される、中国語における漢字の読み方記号のようなもの。ただし、ローマ字の読み方とは異なり、複雑な発音ルールがある。発音記号ではないので、慣れるまでに時間が必要)

・「おはよう」「ありがとう」「お疲れさまでした」「お先に失礼します」などの簡単な挨拶や、3桁までの小さい数字を言ったり聞いたりできる

・「(全部で/これは)いくらですか?」「(袋は)いりません/いります」などの、買い物に必要な簡単な文が言える

…くらいです。

 

ようやく、日本語にはない音の発音に慣れ、簡単な文法なら理解できるようになってきたところです。

あと、簡体字が、わりとすらすら書けるようになってきました。

ろくに話す練習もしないで、書くことだけはしていたという、意味があるのかないのかわからない学習法 笑

 

目下の課題は、お店の人や道行く人が何か話しかけてくれても何を言っているのかわからないので、それをどうやって切り抜けるかということです。

「すみません、外国人なので聞いてもわからないんです」は言えるけど、そればっかりじゃ進展しないしなあ。

 

最近は、音に鳴れることを目的として、部屋に備え付けなのに置物化していたテレビに、ようやく電源を入れるようになりました笑

あと、中国語学習アプリを使って発音練習をするようになりました。

今後どれだけ上達するかなー。

 

で、マルチリンガルって

脱線しまくりましたが、

最近、複数の言語を使う人ってすごいなーと思う出来事があったのです。

 

国語学部の学生たちが外国語でシナリオを作り発表するという、外国語創作劇大会の決勝戦が行われました。

私の勤務校では外国語の専攻は英語、韓国語、日本語だけなのですが、全6団体のうち、英語2団体、韓国語2団体、日本語2団体が決勝進出をしていました。

私は外国人教師ということで、その審査員として招待されていました。

 

それぞれの専攻語の審査員として2人ずつが招かれていたのですが、日本語学科からは、私のほかに、中国人の先生(女性)がいらっしゃっていました。

もう一人の日本人教師は4年生の卒業式と同日だったのでドタキャンしたそうで、急きょ代打でこの先生に白羽の矢が立ったとのこと。

 

この中国人の先生がすごいんです。

審査員の席順が、私、その中国人の先生、韓国人の先生と並んでいたのですが、同時に4言語話してる…!

 

主催者の学生が近づいてきて、中国語で審査方法の説明をしてくれたのですが、それを聞いて、私たち外国人教員に、それぞれ通訳してくださるんです。

私には日本語で、韓国人の先生には韓国語とときどき英語で。

 

私が鼻息荒く「先生、韓国語もお話しになるんですね!!」と言ったら、

「趣味でちょっと勉強したことがあるだけですよ~」とおっしゃっていましたが、それにしては流暢な韓国語でした。

もともとこの先生のご専門は日本語ですが、BIGBANGが大好きということで、韓国語の勉強もされていたようです。

めっちゃかっこいい!!!

 

「伝わればそれでいいと思いますけど、今いろいろなことばで話していたので、わけがわからなくなりました~」と困惑する先生。

その口調こそ緩くてほんわかしていますが、ほんとにすごいことをしていると思いました。

ちなみに、その先生と韓国人の先生は初対面だったのですが、韓国人の先生は私と同じように、その流暢な韓国語にいたく感動していらっしゃいました。

 

マルチタスク脳…?

複数のことを同時進行することは、マルチタスクといえると思うのですが、

まさに、上でご紹介した中国人教師はそれを脳内でやってのけていたのではないでしょうか。

 

日本語以外の言語をろくすっぽ話せない私としては、もう何て言ったらいいんでしょう、その先生が神様に見えました。

こう書いたら大げさですが、その先生は情報処理能力が高いんじゃないかなと思います。

 

 

はい、そんなわけで。

今日はその先生を見て中国語の学習意欲がブチ上がったというだけの話です。

仮にも日本語教師なんだから、もうちょっと簡潔に書く文章力をつけたいところです。

学生の権利、教師の義務

なんでだろう

いや、なんでだろうじゃないですね。

続かないのは私の記憶から完全にこのブログの存在が消えている期間が長いからです笑 

 

今学期(後期)の授業も半分以上が終わり、残すところ1か月半くらいになりました。

前回の更新が前期の授業が始まってすぐのところだったので、

相当長い間ストップしていたことになりますね笑

 

中国での外国人生活にもだいぶ慣れました。

相変わらず、私の中国語レベルはまだまだですが;

 

冬休みは一度、日本へ帰国しました。

そして、あと2か月くらいでまた一時帰国します笑

ということは、あともう少しでこの大学に赴任して1年になるということです。

わーお、早い。

 

この1年いろいろなことがありました。

特筆すべきは何でしょうねえ…

 

同僚の日本人教師がすごい人(抽象的)だとわかったことですかね!

すみません、これはネガティブな意味で、です。

 

もっとほかにも取り立てて書くべきことはあると思うのですが、

これは、間違いなく、ここに来ていちばん衝撃が大きいのです。はい。

 

混乱、怒り、悲しみなど、気持ちのはけ口がないので、

なるべく中立に(を装いながら)その日本人教師の批判をさせてもらいつつ、

大げさですが自分の教育観の一部を書いていきたいと思います。

 

おかげで最終的には、

学生の権利とは、教師の義務とはどんなものか、真剣に考える機会になりました。

 

私はその先生からは何だか煙たがられているようなので、

なるべく、会ってお話しすることは避けていますし、

仮に食事会などで長時間お会いしたとしてもこんなことはお話しできないので、

勇気のない私は、きわめて姑息な手段に出ているんですけど;

 

「国語教師」と「日本語教師

この職場には、私の他に、もう一人の日本人教師がいます。

長い間、日本の高校で国語を教えていらっしゃった50代の男性です。

この大学と、日本のK県の教育委員会の提携関係により、派遣されて来ています。

私の1年前にここに赴任され、もともとは1年間の契約だったのが、

この先生の強いご希望で、あと2年間延長することになったと聞いています。

 

ここで少し、語句の確認をしたいのですが、

「国語教育」…学校教育(小、中、高)において、日本人(日本語母語話者)に対して行う。母語としての「日本語」を学ぶだけでなく、日本人としての価値観を形成するのに大きな役割を果たし、日本人を日本人たらしめる場となる。

日本語教育」…日本語を母語としない人(非日本語母語話者) に対して行う。非日本語母語話者が、外国語としての「日本語」を学ぶ場となる。

 …といったことを、私は大学1年生のときに授業で勉強しました。

 

それから、

前者は学校教育の中で行われるので全人教育(人間性重視)がなされるのに対し、

後者はそういったことは必ずしも問われない、という違いもあると思います。

 

まあ、細かいことはさておき、

両者は名前こそにていますが、その内容はまったく別物だということです。

 

ということで、同僚の日本人教師は「国語教師」歴の長い「日本語教師」です。

かたや、私は大学・大学院で「日本語教育」を専攻した、新米の「日本語教師」です。

 

私は決して、

「ここは日本ではないし、学生たちが勉強しているのは国語ではないのだから、

この大学で教えるのは、日本語教育を専門的に学んだ日本語教師であるべきだ!」

などと言いたいのではありません。

 

内容的にどちらにも共通していることは多くありますし、

日本語教育が国語教育から学ぶべき点はたくさんあります。

 

それに、その先生には教師としての長年のキャリアがおありなので、

授業をすることに関しては大ベテランでいらっしゃるわけなのです。

年齢的に人生経験も豊富なので、私には話せない人生訓もたくさんお持ちです。

 

それと比較して私が自分のことを過剰に悲観する必要はないかと思いますが、

私には成し得ない授業、教育をなさる先生です。

私と彼は別の人間なので、当然といえば当然ですが笑

 

解せないことがある

ですが、私は彼の授業方法について、どうしても賛成できないことがあります。

私は、「会話」の授業では、学生たちに会話をさせることが第一義だと思っています。

難しいことは言わなくてもいいから、とにかく話してもらいたい。

 

(ここからは私が聞いた情報をもとに書いていきます。)

 

その先生の会話授業は、ひたすら日本語で文法説明、教科書の文言の説明に終始する、

「精読(文法)」+「聴解」のような授業だと、多くの学生から聞いています。

具体的には、会話用につくられた日本語の教科書のことばを一字一句拾い、

先生が、とーーーっても詳しく内容説明をするので、授業進度はかなり遅め。

その授業で学生たちが口を動かすことはめったにないそうです。

 

また、先生の説明はとてもわかりやすいけれど、

その内容はかなり前に中国人の先生が精読の授業で教えてくれたものなので、

簡単すぎるとも言っていました。

 

授業評価のために、学科主任もこの先生の授業を見学ましたが、

やはり、学生から聞いていた通りの授業だったそうです。

 

彼は、日本で国語教師として教壇に立たれていた期間も長いので、

どうしても、簡単に授業方法を変えることができないのではないか、

雰囲気が高校の国語の授業のようになってしまうのではないか、

と、私は勝手に想像しています。

 

つい1か月ほど前のことですが、

その先生が会話を担当するクラスの学習リーダーの学生(女子)が、

クラスの意見を代表して先生の自宅へ直訴しに行きました。

「先生の会話授業の方法を変えていただけませんか」、

「これでは会話の能力を伸ばすことができないと思います」と。

 

私はそれを聞いて、なんて勇気ある行動なのだろうと思いました。

それに、授業改善のために学生から生の声をもらえるのはとても貴重だし、

多少耳が痛い話でも、意見がもらえるのはありがたいことだとも思います。

 

しかし、本当に解せないのはここからです。

 

直訴の日、先生がどんな反応をし、どうやって学生を帰したのかはわかりませんが、

翌週のそのクラスの授業のとき、教室に入るやいなや教科書で教卓をバーーンと叩き、

大きな文字で黒板に「言葉の力」と書いて、黒板をガンガン叩きながら、

「言葉は人を喜ばせることもできるけれど、簡単に人を傷つけることもできる」

といった内容のことを、声高に、早口で口走ったあと、

勢いよくドアを開け、授業もせずに帰ってしまったそうです。

 

その後、学生たち(約30名)は一人ずつ謝罪の手紙を書き、

班長(クラスのリーダー)を含む6名で先生の家へ行って、

手紙と先生の好きな銘柄のビール(瓶6本)を謝罪の品として渡したんだとか。

 

その甲斐あってかひとまずその件は収束し、

また授業を再開してもらえるようにはなったようですが、

授業方法は以前とまったく同じだそうです。学習リーダーの勇気の甲斐むなしく…。

 

これは、国語教育と日本語教育の違い云々という話ではなく、

完全に彼の人格の問題なんですけどね;

 

昔ながらの、日本の学校教育観…?

いちばん疑問なのは、

どうして学生が謝り、先生が謝罪を受ける側なのか、ということです。

お詫びの品まで用意して渡す必要があったんでしょうか。

「言葉の力」のくだりからすると、自分が「学生の言葉で傷つけられた被害者」に

なっているとお考えだということでしょうか。

 

私の赴任前にも、この1年間にも、何度かこういった癇癪爆発事件があり、

そのたびに学生たちがひたすら謝って事態を収めてきたようです。

学生たちから聞いた報告をすべて挙げたら、挙げきれないほどです。

 

たとえその原因となったのが、

一部、出席率が悪い学生や、授業中にケータイをチラ見した学生がいたこと、

試験中にひそひそ話した学生がいたことなど、学生に非があることだったとしても、

教室で学生たち全員に向かって怒鳴りつけた挙句、

授業をしないで帰る、試験を中断するなどということは、立派な教育事故です。

 

学生たちのみならず、学科主任(中国人教師)の必死の説得のおかげもあって、

先生をなだめ、これまでなんとか丸く(?)片付いてきたみたいですが…。

 

ここから思うのは、この先生の考える「教師」と「学生」の関係性は、

「昔ながらの」学校教育におけるそれに近いんじゃないか、ということです。

 

いい意味でもその傾向は現れていて、大人として人生で大事なことを伝えたり、

いけないこと(カンニングやサボりなど)はいけないと全力で注意したりできるのは、

まさに先生の学校教育でのご経験の賜物だと思います。

「生徒指導」に近いものがあるようにも感じます。

 

(最近ではその様子も違うようですが)少なくともこの先生が教壇に立たれたころは、

学生(生徒)にとって教師の存在、発言、行動、考え方は絶対で、

「教師 > 学生(生徒)」という力関係も、絶対的なものだったのでしょう。

 

また別の事件のときに飛び出した発言(※)を見ても、彼が、

必ず、学生と教師には上下関係が生じるものだと捉えていることがよくわかります。

(※「教師の問いかけ(注:QQというSNSにおける公開メッセージ)に反応しないとは、学生も偉くなったものだ。いい根性してる。」)

 

これは完全に私の妄想ですが、ここまで横柄な態度に出ているのは、

儒教思想が根付き、年長者、特に「先生」を敬う気持ちが強い中国人の考え方を

利用しているんじゃないかとも思えてしまいます。

 

学生たちにしてみれば、

授業料を納めたのに授業をしてもらえないのはお金が無駄になるし、

競争がかなり激しいこの国においては、授業や試験の成績はかなり重視されるので、

なんとしても授業を再開してもらおうと必死になるのは理解できますけどね;

 

K県教育委員会からの派遣後任者が簡単に見つからないことを知っていて、

あえて「こんな大学辞めてやる!」と学生たちに公開のSNSで発言したり、

学科主任に「じゃあ今すぐ解雇してくださって結構です!」と言ったりするあたり、

自分を特別扱いされ敬われるべき存在と見なし、「貴重な外国人教師」であることに

あぐらをかいているように見えて仕方がありません。

 

権利と義務

さて、冒頭でちらっと書いたことですが、

教育現場において、学生には、よりよい教育を受けるために、

教育を提供する側(大学や担当教師)に対して意見を言う権利があると思います。

一方、教師には、常に授業を改善する姿勢をもち、

よりよい教育を提供するために、学生からの意見に耳を傾ける義務があると思います。

 

過激な人権論者になりたいわけではありませんが、

件の日本人教師はその義務を放棄し、学生の権利を蔑ろにしているように感じます。

 

私は、その先生のことが羨ましいと思いました。

授業をよりよくするために、学生のほうから要望を言ってくれるなんて、

自分では気づけないことに気づかせてくれる、またとないチャンスじゃないですか。

それを退けるのは、とてももったいないことだと思うんだけどなあ。

 

これは、私が新米だから思うことなんでしょうか。

教歴30年ともなると、こうやって他人から自分の教育方法に口を出されることは、

プライドが許さないのでしょうか。

 

それとも、やはり「国語(学校)教育畑」「日本語(外国語)教育畑」という、

出身とする分野の違いから、学生からの意見への態度に違いが出るのでしょうか。

 

ご本人の性格によるものがいちばん大きい気もしますけどね。

 

 

いろいろと書いてきましたが、結局のところ何が言いたいかというと、

自分のやり方に口を出されても逆切れしたらあかんやろ!

ということです。

 

 

よーしすっきりした。

また何か思ったことがあったら書きます。不定期で笑

授業開始1週間

いろいろあったけど

昨日で、一通り1週間の授業が終わりました。

しかし、担当の1,3,4年生のうち、まだ3,4年生しか授業をしていません。

 

というのも、1年生はまだ入学すらしていなくて、なおかつ中国の大学では

大学1年生は2~3週間の「軍事訓練」というものがあるそうなので、

もしかしたら1年生の授業開始は10月になるかもしれないとのこと。

 

しかも、「もしかしたら」「かもしれない」という、

授業開始日も授業数も試験日も未定の状態/(^^)\

学科の先生に「試験週間はいつですか?」と質問したら、

「また決まったら教えますのでご安心ください」と返ってきました。

 

教育機関って、もっと前々からいろいろ厳密に予定が決まってるものだ

というイメージがありましたが、それは中国では当てはまらないようです笑

 

ちなみに大学院時代の中国人の友人にきいてみたところ、

「軍事訓練」といっても軍事色の強い洗脳のようなことをするわけではなく、

軍隊から軍人を講師に招き、体力や忍耐力をつけるための訓練をするんだそうです。

友人のときは早朝から走ったり、暑い中立ち続けたりしたと言ってました。

 

 

3年生

この学年は3クラスあるのですが、3クラスとも私が読解を担当しています。

それぞれクラス色が違って、私の問いかけなどへの反応もまちまちですが、

おおむね私には好印象をもってくれているように感じました。

 

毎回の授業プリントの1番下に

自己評価欄と、任意で私へのコメントを書く欄を設けているのですが、

「かわいい」「声がきれい」「いい先生」「友達になりたい」「遊びに行きましょう」

といったコメントを書いてくれる学生がいて、うれしくなりました。

 

私のほうから近づいて「友達になりましょう」というのは何か違う気がするので、

個人的に学生がアプローチしてくれるのを待とうと思います。

だって、あくまで基本は「教師」と「学生」ですしね。

 

3回も同じ授業(初回)をしたのに、3回目でもまだまだ改善点が出てきます。

やはり、日々勉強ですね…。

 

 

4年生

この学年は日本の新聞を読む授業の担当です。

2クラス合同なので、70人近くの学生を相手にする…はずです。

登録者数は67人です。

 

はず、というのは、

この学校は教師になりたい学生が多く来ている学校なので、

今の時期、4年生は12月の院試に向け大半の学生が猛勉強をしています。

なおかつ、この授業は必修ではなく1単位しか認定されないので、

必然的に学生の出席態度が悪くなってしまう、と他の先生からお聞きしました。

 

私の前任の先生が去年同じ授業を担当されていたと聞きましたが、

登録者数は同じくらい、最終的に出席していたのは5~6人だったんだとか。

まじかー

授業日数の関係でこのクラス(曜日)はすでに2回の授業をしていますが、

とりあえず、まだ学生は60人くらい出席しています。

 

1回目の授業のときはほかの勉強(たぶん入試勉強)をしている学生も

ちらほらいたような印象でしたが、

提出してもらった授業プリントをもとに成績をつけますと言ったら

2回目はそういう学生も減ったように思いました。

 

このクラスだけPPT(パワーポイント)が使える教室だったので、

日本から持ってきたPCで作ったスライドを、教室にある中国のPCに移して

スクリーンに映しています。

 

が、Windowsのバージョンが違うせいか、

日本語入力が対応していないPCだという理由なのか、

作ったとおりにアニメーションで文字が出てこないomg

 

学生からのコメントに「PPTのミスが多いですが内容は問題ありません」と

書かれてしまいました;

次回からは学科事務室のPCで動作確認してから授業に持っていこうと思います。

 

授業中、実家から持参した日本の新聞を回覧したら

思いの外くいつきがよくてじっくり眺める学生もあり、

早く回してくれないと授業中に見られない人が出てきちゃいますよーってなりました。

 

学生にきいてみたところ、

中国の一般家庭で新聞を購読することはあまり一般的ではなく、

購読していても、発行されるのは週に1回なのだと教えてくれました。

やっぱり、農村とか都市部とかでも違うのかなー。

 

 

ぼちぼち

いろいろと課題はありますが、やってくしかないですね、ぼちぼち。

1年生の授業は2クラス週に2回あるそうなので、

今のうちに授業準備のストックをもっておかなければ…

 

こうして、私の初週が終わったのでありました。

中国の健康診断

タイムスリップ

ほらね、やっぱり続かない。

私は飽き性なんでしょうか…前回の更新から119日経過とか笑

 

ご無沙汰しております。

わたくし、今なんと、中国にいます。

中国語はほとんどわかりません←

 

前回までは日本で日本語学校で非常勤をしていたお話をしていたのですが、

それも6月いっぱいで終わり、7月はひたすらバイトに明け暮れ、

8月中旬に長年住んだアパートを引き払って実家に戻り、

8月24日に中国に渡りました。

 

大学の専任講師として採用されているので、おそらく高待遇で暮らしています。

新年度の授業は9月5日に始まるそうです。

 

 

新学期前の今日は

外国人教師ということで、国際保健センターのようなところに車でつれていってもらい、

健康診断をしてきました。

費用は学校の負担でした。

 

ここで、日本とは違う健康診断の方法に、ひたすら驚きの連続。

まず、昨日、健康診断に行くとの電話を受け、そこで

明日は朝食を摂らないでください。水も飲まないでくださいね。

と言われていたので、今日は何かバリウムでも飲まされたりするのかな…と

身構えていたのですが、そんな怖いものではありませんでした。

 

結論からいうと、これはたぶん、エコー検査のためでした。

濡れたローラーでおなかをゴロゴロされる、あれ。生まれて初めての体験でした。

妊娠してるわけでもないのに。なんだか不思議な気分でした。

しかも男性女性問わず全員が受けていました。

 

中国では普通なのか、それとも国際的に定められている項目なのか。

とにかく、通常日本で行われている検査項目しか受診したことのなかった25歳の私にとって、

これは貴重な体験でした。

ちなみに私、日本でもバリウムを使った検査は未経験です笑

 

 

エコー検査の他に

その他の項目は特に日本と変わらないものでした。

 

が。

そのすべてにおいて、やり方が、雑。笑

 

そりゃあね、これだけ人数がいる国だもん、しょうがないけども。

身長・体重の自己申告制には笑ってしまいました。

これでいいんかい笑

 

外国で採血されることには少し緊張しましたが、お姉さんが手際よく終わらせてくれました。

血液サンプルを2本とり、消毒液がついた綿棒を針を抜いたところにのせて、

はい、終わり。

 

お姉さん、問診票(?)に何かを置いたと思ったら、

それごとクシャッと丸めて渡され、無言で部屋を出されました。

廊下で紙を広げると、プラスチックのカップと、私のネームラベルのついた筒。

 

どうやらこれで採尿してこいということらしく、私の他に一緒に健診に来ていた

韓国語の先生ご夫妻と一緒に外トイレへと向かいました。

トイレ汚すぎでした、健康診断なのにな…大丈夫かしら笑

採尿後は建物に戻り、「尿はこちら」みたいなところに並べてさしました。

 

胸部X線写真はだいたい日本と同じでしたが、

これ、下着とか服とか脱がなくてもできるんですね(゜゜)

心電図検査も同じく、着衣のまま、服をたくし上げるだけでOKでした。

 

エコーと心電図では検査台に寝たんですが、部屋の外に置いてある

使い捨てのビニール製の靴カバーを装着して、靴を履いたまま寝転がりました。

 

どれもえらく省エネモードの健診だったな…

 

全項目の検査が終わったら、パン二つとパックジュース1本を渡され終了。

空腹の中お疲れさまでした、ということなんでしょうか。

日本にはないサービスに、最後まで驚きでした。

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思わぬ異文化体験

こんなところで異文化体験ができるとは思っていませんでした。

今回のことは今後も根強く記憶に残ることでしょう笑

 

中国語しか話す気のない”国際”保健センターのお姉さま方。

中国語のほとんど理解できない私。

 

このギャップを埋めるために英語や身振りで助けてくださった、

ここへ私をつれてきてくださった大学スタッフの方、そして

一緒に来ていた韓国人ご夫妻には本当に感謝でした。

 

特に奥様には、女性ならではの気づかいを多くしていただいて、

こんな大人の女性になりたいと思いました。

こういうのは国籍を問いませんね。感動しました。

 

 

さて、ザ・不定期更新のこのブログ。

次回の更新はいつになることやら…暇をみてまた書きます笑

カントリーマアム

祝日授業
去る月曜日は週に一度の日本語学校でした。
ゴールデンウィークみどりの日ということで祝日だったのですが、授業週の不足からか、この日も通常授業が行われました。
 
私のほうへは学校から連絡があり、この日はいつもとは別の教室で授業をすることになっていました。
始業10分前に教室に到着して準備をしていたのですが、授業開始時刻になっても、誰も来ない笑
 
エレベーターに乗っていつもの教室へ行くと、学生が2人いました。
机まで準備しててくれてたのに申し訳なかったなー><
学生の連絡先は誰一人として知らないので、こちらから連絡することもできませんでした(´・ω・`)
 
一緒にエレベーターに乗り、今回の教室へ向かいました。
 
 
お客さん
今回はこの2人の学生のほかに、もう一人、とっても可愛らしいお客さんが来ていました。
学生の子どもさんで、小学生の女の子でした。
 
その子に直接日本語で「何年生ですか?」ときくと「1年!」と教えてくれて、「今日は学校がお休みなんですか?」ときくと、うなづいて答えてくれました。
 
どうやらその子は日本人と同じように日本の学校で教育を受けているようでした。
私が話す日本語を全部聞き取れていました。
ママやほかの学生とは中国語で話していましたが、日本語もとても流暢でした。
 
授業をしている間、おとなしくプ○キュアのぬり絵をしたり、計算ドリルをしたりしていたのですが、でも、そこはやはり6歳。
50分ひとりでいるのは寂しかったらしく、授業中、隣に座っているママにぬり絵や計算を見てほしくて、ちょこちょこ話しかけていました。
 
でも、偉いのは、大きな声を出さないっていうところ!
授業中ってことをわかってるんですねー(´ω`)
 
休憩時間に

さて休憩時間。

女の子がちょこちょこと駆け寄ってきて、カントリーマアムをくれました。

ああなんてうれしい…!

 

お菓子をもらえたというのがではなく、お菓子を渡そうと思ってくれたことにうれしくなってしまいました。

 

そして授業後

お疲れさまでしたー。と言って授業が終わり、今度は学生ひとりひとりにお菓子を配る女の子。

さっきは私だけにお菓子をくれていたのです。

若い学生も、私よりもお姉さまなお歳の学生もいましたが、お菓子を渡す小1の彼女を見て、みんなそれぞれ頬をゆるめ、中国語でお礼を言っていました。

 

そしたら、最後にまたもや私の元に来て、違う味のカントリーマアムをくれました。

え?いいの??

なんだか戸惑ってもしまいましたが、うれしくもあり…。

大切に持って帰りました。

 

 

アクシデントもあった回でしたが、こんなほっこりすることもあった日でした。

2週目

授業です
こんな記事タイトルにすると、まるで妊娠週かのようですが、授業です。
まあ妊娠2週目なんてきっと気づかないレベルなんだと思いますが…ちなみに未婚、彼氏なしです、どうでもいいですね笑

日本語教室での新クラスの担当、昨日は2週目でした。


人数が…
学校からは、このクラスは5人だと聞いていました。
私が授業をしなかった初回と合わせるともう3週目になるので、欠席で人数が減ることはあっても、増えることはないだろう、と。
そう思っていました。
だからプリントも、自分のを含めて6枚しか用意していませんでした。

始業時刻になって、前回いた人が2人おらず、前回いなかった人が2人やってきました。
この時点で教室に学生が5人。おや…

初対面の2人に名前と状況を聞きました。
1人は来週からもこのクラスに参加し、もう1人は自分のレベルに合うクラスを見極めるために、今日は見学に来たとのことでした。

そして10分後、前回いたうちの1人が遅刻してきました。
教室には学生が6人。
焦る私「プリントたりない(°_°)(°_°)」

この学校では、10分休憩を2回挟みながら50分授業が3コマ連続で行われます。
6人の学生とともに1,2コマ目が終わり、さすがに3コマ目に来て人数が変わるとは予想だにしていませんでした。

2回目の休憩をしていると、教室にいた学生がドアを指して「先生」と声をかけてくれました。
見るとまたニューフェイスの学生が…!

なに食わぬ顔で入室してきたこの学生、名前を聞いてみると名簿には載っていない学生でしたが、来週からもこのクラスに来るとのこと。

これまでの人数変更のこと、一つも聞かされていなかったので、そのたびに動揺してしまいました/(^^)\
堂々と振る舞えてたかな…

こうして徐々に学生数が増え、最終的に7人の学生と授業をしました。
最後のタスクでプリントを使う予定でいたのですが、自分の分として持ってきていたものを含め、6人分配布しました。

見学で来ていた学生が「私は見せてもらいます」と言ってくれたので、幸いにもそれでタスクをすることができました。

授業経験の少ない現在の私は、学生とうまく打ち解けられるかどうかも大きな不安要素となっています。
初対面の学生が何人もいるという状況は、けっこうドキドキしてしまうのです。


教室の雰囲気づくり
受講生の人数の変動でプリント枚数が足りなくなる事件はありましたが、今回の授業は前回よりも雰囲気よく進むことができました。

前回から受講している学生のおかげもありました。
どんな反応をしてくれるか私もだいたいつかんできているので、反応を予想した声かけができます。
たとえば、私が冗談を言う、さじ加減ができるのです。

ですが、今回初めて会った学生の力も大きかったです。
積極性があって、自分から質問したりウケを狙ったような面白い解答をしてみたりと、教室の雰囲気形成に大きく貢献してくれました。

結局、焦っていたのは私だけでした。
学生のおかげで、私による雰囲気悪化を回避することができました。


計画に沿って、必要な学習項目を教えること。
外国語の指導において、これは外せないポイントでしょう。
ですが、淡々と学習していくだけでは、飽きます。
よほど言語学習が好きだったり必要性に迫られない限り、絶対飽きるし楽しくないと思います。
自分の意志で学校に通っている学生ばかりではないでしょうから…

お互いに外国人同士である私と学生の間では、大袈裟に言えば、異文化コミュニケーションが行われていると思います。
お互いに新しいことを教えてもらう場として、楽しく明るい雰囲気のほうが相手のことを受け入れやすいと思います。
それから、たとえ異文化でなかったとしても、数時間同じ空間にいて話をする相手とは、雰囲気よくコミュニケーションがとれるに越したことはないと思うのです。


ごちゃごちゃと書きましたが、私が言いたいのは、外国語学習における雰囲気づくりは大事だということ!
学生たちに助けられて、感謝したいということ!

今回身をもって学んだことです!

絵はがき

マメ
祖母は、マメな人です。
地元の方言では「マメやったかな」は「元気だったかな」にあたりますが、ここでのマメは、一般に言うところの、きっちりとした性格を指します。
もちろん、元気でもあります。
75歳を迎えた今でも、家事や趣味の裁縫や工作、畑仕事に精を出しています。

祖母は文字通り筆マメで、私が小さい頃から折にふれて手紙を送ってくれていました。
私が地元を離れ一人暮らしを始めても、変わらず手紙を送り続けてくれています。

勉強熱心で向上心の高い彼女は、数年前から近所の絵はがき教室に通い始めました。
その頃から祖母から送られてくる手紙は、絵はがきになりました。


四季折々のお届け物
祖母の絵はがきには、表面の上半分に宛先と送り主の情報、下半分に近況報告や私への応援などが書いてあります。

そして裏面には、その季節の旬のものの絵と、祖母の一言が絵筆でかかれています。
今回届いたのは、こちら。

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4月中旬だったので、タケノコです。
味がありますね(´ω`)

毎回こちらからも返事を書くのですが、なかなか思い立てず、結局はじめから絵柄がプリントされたはがきを使ってしまいます。
その季節に合った絵柄を選ぶように心がけてはいますが…(*_*;)

一度は自分でも絵を描いてはがきを出したいなあ…