かけ出し日本語教師 in 中国

28歳独女、中国で奮闘中です

中国で勤務校を変えました

もはや恒例のタイムワープ

前回の投稿からさらに1年以上経ちました。

あれですね、このブログは1年おきにしか更新されないんじゃないんじゃないですかね笑

開設したページを忘れすぎ問題…
 
前回は中国生活2年目が終わろうとしているところでしたが、なんとただいま、外国人ライフ4年目に突入いたしました。
その中で生活の拠点も変わり、環境もがらりと変化しました。
そこまでの経緯を書き残しておこうと思います。
 
今回の投稿は、
今まで中国の大学で働いてきたけど、別の大学にも勤めてみたいな
これから中国の大学で働くけど、途中で勤務校って変えられるのかな
という方の参考になりましたら幸いです。
そんなピンポイントすぎる人なんてかなり少数な気もしますが笑
 
(※以下、かなりのボリュームになってしまったので、最後の「中国で勤務校を変えるなら」という見出しまでジャンプしていただけると、本記事の考察部分が読めます。)
 

勤務校変更までの経緯

さて、タイトルにあるとおりですが、中国内で勤務校が変わりました。
3年間お世話になった最初の学校に別れを告げ、8月末に新しい土地にやってまいりました。
 
名残惜しかったですが、これも自分のため。
前任校の先生方もこの決断を応援してくれました。
つくづく、私は環境にも人に恵まれているなあと思います。

 

前任校に感じた違和感

私が中国の中で勤め先を変えようと思ったのは、前任校で2年が過ぎたころです。
中国人の同僚の先生方はどなたも私によくしてくださいましたし、学生たちも非常にまじめで可愛らしく、住環境に大きな不満もありませんでしたが、
漠然と、私このままでいいのかな?と考え始めました。
 
前任校は良くも悪くも、授業は教員個人に任されている部分が大きい学校でした。
教員同士での情報共有や相談の場が少なくて済むことは、確かに「楽」ではありました。
また、一人で一つの授業を担当することがほとんどだったので、一つの「科目」を作り上げるにはどのようなことが必要なのか自分で考える必要があり、かなり鍛えられたと思います。
 
ですが、
・学校(学科)としての方針や到達目標など、カリキュラムが示されていない
(あったとしても曖昧だったり公開されていなかったり)
・期末試験も成績評価も教員によって基準がまちまち   …などの点は、
 
新米だった私にとっては負担も大きく、ワンオペで授業を担当する中で自分の目標設定、授業方法、評価基準に妥当性があるのか、いつも不安でした。
それに、授業担当者によって教育(量も質も)が左右されてしまうことについては、学校に対して疑問もありました。
 
直属の上司である学科主任は仕事も速くすごく信頼できる人でしたが、学校の体制自体が緩く、上に問い合わせもらっても、知りたい回答が得られないこともしばしばでした。
 
それと、この大学では中国人教師と日本人教師が担当する科目がはっきり分かれていたので、授業に関する相談は必然的にもう一人の日本人教師にすることになりました。
ですが、その同僚は現役の高校国語教師として日本から派遣されてきていたので、「日本の国語教育・学校教育」のスペシャリストではありましたが、「外国語としての日本語を教える」こととなると、ちょっと自信がないようでした。
(この先生のことは心から尊敬しています!)
 
書いてみて思いましたが、私は、専門的なアドバイスがほしかったんですね。
それと、同じ立場で悩みを共有してくれる人もほしかった。
 
中国の地方都市に来ている時点でそんなことは不可能に近いのですが(そもそも日本人教員の数が少なく、若い日本人はさらに希少)、来た当初はそんなことは考えもしませんでした。
状況に不満ばかり言って、甘えといえば甘えですが…。

 

そうだ、新天地に行こう

考え出したら止まりません。

中国の日本語教育現場が知りたくてここに来たのに、このまま帰国したら、私にとっての「中国の大学」「中国の日本語教育」のイメージは、ここで経験したことに限定されてしまいます。

 

フリーダムすぎる職場にいるうちに、漠然とした気持ちが、私このままじゃだめだ!という確信に変わっていきました。

 単純に、別の都市で暮らしてみたいという気持ちもあったんですけどね笑

 

そんなことを考えながら5学期目(2年半)が終わり、冬休みの一時帰国がやってきました。

空港行きのバス発着所に中国人の同僚が送っていってくれた際の、車内での同僚の一言で、私は勤務校変更を決意しました。

 

もともとその同僚は勤務校に不満をもっていて、いつかは家族をつれて別の地方へ移ってやるんだと話していました。

先生(※私)も別の大学に行きたいなら、今から計画を立てて準備したほうがいいですよ

 

愛着のある学生たちや大学、お世話になった先生方を置いて中途半端な時期に出ていくのは後ろめたい気持ちもあったので、私はこの言葉で背中を押された気がしました。

着任当初は、最初に担当した学年が卒業するまで4年間いようと思っていたのですが、3年勤めて離れることにしました。

 

学科主任に報告

冬休みが終わって大学に戻り、すぐに学科主任にその旨を報告しました。

理由も正直に話しました。すると、

「まあこの学校にとっては損失になるでしょうけど、先生ご本人のことを考えたら、そうすべきだと思います」

と、なんともありがたいお言葉をいただきました。

 

さあ、離任の決意、報告をしたはいいものの、次の学校はどうやって探そうかなあ、ネットの募集を見ようか、知り合いに求人情報がないか聞いて回ろうか…

次の学期まで数か月しかないのにこんな調子でした。

 

というのも、中国の大学で日本語教師として勤務するのは、こちらにある程度条件が揃っていれば、また、大学の条件を選ばなければ、実はそんなに難しいことではありません

それについては、また近々記事を書こうと思います。

(これまでの投稿頻度からすると、限りなく信頼性が低いですね笑)

 

ご縁に次ぐご縁

報告から2週間経ち、私は中国で開催された、ある日本語教育系の研究会に参加しました。

その研究会は小さいながらも、日本語学や日本語教育学では権威のある先生方が何人もいらっしゃり、当日もはるばる日本から参加されていました。

 

懇親会で参加者50人ほどが10人ずつくらいで円卓を囲んで歓談したとき、私と同じテーブルにいらっしゃった二人の先生方の一人が、なんと私の修論の指導教授の博士時代の同級生でした。

すっかりその話で盛り上がり、もう一人の先生も私に興味をもってくださいました。

先生方の勤務校が、私の出身大学の近所にあることも原因していたようです。

 

もう一人の先生が、「そういえば、僕の指導生だった人(中国人の大学教師)が日本人の日本語教師を探してるんだけど、中国で次の大学探してない?いま連絡とれるんだけど聞いてみようか?」とおっしゃいました。

中国ではそれなりに知名度のある大学です。

これは逃しちゃいけないと思い、次の瞬間には「お願いします!」と言っていました。

 

先生がその場でSNSで連絡をとってくださり、履歴書を送る流れになり、書類審査が通り、ビデオ面接が決まり、面接に合格し、各種手続きを済ませ、あれよあれよという間に今に至ります。

(現在、新しい職場で働き始めて1か月が経過しています。)

 

あとからわかったことですが、この大学は私の出身大学と以前から姉妹校関係を締結していて、学院長(学科長)も大学時代、1年間の交換留学に来ていたそうです。

それもあって、私の採用を会議にかけたとき、「あの大学の出身なら大丈夫だよね」とお墨付きをもらったと聞きました。

 

初めて自分の母校に感謝しました。大学受験に失敗したと思ってたけど、これでよかったんだ。

いやー、それにしてもいろんなご縁があるなあ、世間は狭いなあ。

まあ、先生のご紹介だったっていうコネの力も否めませんが…!

 

スピード採用

3月1日に前任校の学科主任に退職の意思を伝えてから、4月2日に現在の勤務校の採用連絡をもらうまで、その間ちょうど1か月ほど。

今回は運がよかったからこんなに早く次の職が決まりましたが、私の過去の経験からしても、中国の採用ってだいたい急です

 

というか、スピード感があります。決めてからの行動がとにかく速いです。

あと、個人的には、担当者がどれだけレスポンスが速いかも決め手かな、とも思います。

(ところで、いつも「早い」と「速い」の使い分けに迷います。こんなんじゃ学生に説明できませんね…)

 

新任校

新任校は前述のとおりちょっと名の知れた学校で、全国から学生が集まってくるような、1学年200人以上いる大きな大学です。

また、中国の直轄市に指定されている地域にあるので、いわゆる都会の学校です。

 

そのため、1科目を複数の教員が担当し、常勤の日本人も私を含め4人もいます。

(しかも、市の規定で55歳以上?の雇用はビザが下りにくいので、みなさんお若い!)

地方の大学の日本人教師はだいたい1〜2人だと聞くので、大きな学校ならではという感じがします。

 

前任校では、「授業にかかわる全てを一人で考えることが不安で、誰かと相談してアドバイスを受けながら働きたかった」という意識がありました。

それが、ここに来て解消されることも多く、とても刺激の多い日々を過ごしています。

新しい働き方に戸惑うこともありますが、先生方と気軽に交流を持てる状況に身を置けることに、幸せを感じています。

 

お別れ

 ここまで、前任校の悪口ばかり書いてきましたが、決して悪い大学だったとは思っていません。

省の重点大学ということもあって学生たちはまじめで優秀でしたし、何度も一緒にうちで食事を作って食べたりお茶したり、誕生日会を開いてもらったりもしました。

先生方にも相当可愛がってもらいました。

 

いなかののんびりした雰囲気で暮らすのは、どいなか県出身者としてはとても落ち着く環境でした。

近所にはなじみの店もできて、顔を覚えてもらって毎度ちょっと話す仲になった地元のおじちゃんおばちゃんもいました。

 

こんなこと書いてたら帰りたくなっちゃった泣

最後には泣きましたよ、別れがつらくて!

私にとって、3年間暮らしたここは、間違いなく第3の故郷と呼べる場所です。

 

中国で勤務校を変えるなら

ざっとこんな感じで、前任校に違和感を覚えてから今の大学に移るまでを書いてみました。

冒頭で「~方の参考になれば…」なんて書きましたが、あくまでも私の事例なので、参考のしようもないかもしれません。

 

ただ、中国の地方と都市部、両方で採用された経験からお伝えできることは、

  • 地方に行くなら町にも大学にも日本人はそんなにいないしワンオペ授業になる可能性がある
  • 都市部や大きな大学なら複数教員で授業が担当できるし日本人も多いかも
  • 中国の大学で日本語教師の職を探すのはわりと簡単(おそらく日本語学校ならもっと容易)
  • どこの大学に勤め始めるにしても必要書類が多くてかなりめんどくさい

…といったことです。

 

最後の点についてですが、中国だって日本と同じで書類とハンコの社会です。

特に、外国人の雇用に関してはかなり厳しく審査されます。

中国の採用なんてテキトーでしょ?なんて思ってるやつ、出てこい。笑

この審査を晴れて通過したあかつきには、外国人教師として身分が保証されますのでご安心ください。

 

中国で働くの楽しいです。ほんと。これはまぎれもない事実です。

本記事が参考になりましたら嬉しいです。

 

長くなりましたがこのへんで!

今後はもう少し更新頻度を上げていこうと思います。(予定