メシには関係ない
つゆ
日本では梅雨真っ盛りみたいですが、中国で私が住むこの地域には、なんと梅雨がありません。
私の生誕26周年祭(笑)が先月末にあったわけですが、日本にいると、だいたいこのあたりから梅雨入りです、残念賞。
雨の日はテンソンだだ下がりなので、梅雨の時期を過ごさなくていいというのは、なんとも嬉しい限りです。
昨日も今日も快晴ですわーーい。
ただし、こちらで迎えた初の誕生日は運悪く雨のち曇りでした。
どのみち雨からは逃れられない運命のようです笑
汎読
本日は、私なりの「汎読」授業のやり方を整理してみます。
自己満のためのブログですからね笑
とにかく書き出してみたいと思います。
私は今学期、1年生の「初級日本語会話」以外にも、2年生の「日本語汎読(はんどく)」(中国語:日语泛读)という授業も担当しています。
「汎読」とは、日本語では「多読」「通読」にあたります。
日本の高校での英語の授業を思い出していただけるとわかると思うのですが、単語や構文の形を一語一句調べて細かく読んでいくのが「精読」で、それに対し、「多読」はそういった作業をせず、細かいことは気にしないでとにかく次へ次へと読んでいく読み方のことを指します。
私が担当しているのは、それの日本語バージョンです笑
私は、どの授業でもコミュニカティブ(communicative)な場面が必要だと考えています。
たとえそれが「作文」の授業であっても、少しでも目標言語(ここでは日本語)でコミュニケーションをとりながら学習すれば、より言語習得の役に立つと思うからです。
それに、読んでばかり、書いてばかりの授業では、学生たちも退屈で学習意欲も下がってしまいますしね;
なおかつ、学校のカリキュラムの関係上、「会話」の授業は週に1回だけなので、学生たちはなかなか日本語で会話をするときがありません。
(しかも、この2年生の「中級会話」を担当している日本人教師は「精読」よりも「精読」のような「会話」授業をしているというので、なおさらです)
学生たちが自分で会話の練習をする時間をとっているならいいのですが、忙しい学生たちはなかなかそうもいきません。
「自分の言いたいことを話す」ための時間を意識的に作らないと、いつまでも教科書で見たことしか話せないままになってしまいます。
どうしたら自由度の高い授業にできるのか、日々模索しています。
レッツ・ファンドゥー(泛读)
いくらコミュニカティブな授業を目指しているからとはいえ、この授業の目的は「汎読」をしてもらうことなので、そこは外せません。
1.わからない単語は気にしない!
2.調べた単語は無理に覚えようとしない!
3.すべてを理解しようとしない!
4.問題を解くための精読とは区別する!
という四つのルールに従って、さっと読んでいってもらいます。
(このルールはTOEIC攻略のための多読のサイトからいただいてきました。)
ただ、どれだけ口酸っぱく言っても、どの学生も高校まで精読ばかりしてきた経験があるので、全部の意味を翻訳しながら読まないと気が済まない学生も多く、教科書にびっしりと書き込みをする子もいます。
そこは日本人と同じです笑
なかには、授業のときスラスラと読めるように予習してくる学生もいます。
そのとき初めて読むんじゃないと意味がないので止めるように注意はするのですが、なかなか全員には浸透していません;
だいぶ、授業の趣旨をわかってきた学生も増えたように思いますが…。
この授業では、4~5分くらいで読み切れる短い読み物を集めた教科書を使っているのですが、だいたいの学生が黙読を終えたころを見計らって時間を切り、ここで初めて、本文の読み方や語句、文章の意味を確認します。
そして次に、「話し合い」の時間に入ります。
この時間が、どんなに簡単な答え方でも、自分のことばを使って、日本語で説明する機会になれば…と考えています。
話し合いのために、一つの読み物に対し二つほど、その内容に関連した設問を作っています。
もちろん、設問は何でもいいわけではなく、学生たちからよりたくさんの意見が出そうな、しかも今の学生たちのレベルで答えられそうなものを考えます。
例えば、今週の読み物は「挨拶」に関するものだったので、
【1.挨拶にはどんな種類がありますか。】
【2.挨拶をすると、どのような効果がありますか。】
といったものを提示しました。
1人で考えても答えが出ないこともあるので、私が指定した3~4人のグループで話し合う時間をとり、話し合ったものを発表してもらう、という形をとっています。
それまではつまらなそうな顔をしていた学生も、話し合いの時間になるといきいきとした表情になるのが、私にとっても救いです笑
はじめのうちは私も「日本語を使う機会を多く作らなきゃ!」と意気込むあまり、学生たちに「日本語で話し合いをしてくださいねー!」と言って回っていました。
ですが、最近は「これは汎読の授業なんだし、いろんな新しい日本語のことばに出会う機会になればそれでいっか」と思うようになってきたので、学生たちの、中国語で話し合う→そこで出てきたわからない単語をネットで調べて日本語に直す、というスタイルも容認しています。
(指示が統一されてないから学生の混乱を生んでるかもしれないな…)
汎読をする時間もそこそこに、話し合って発表してみんなの意見を聞いて…という時間のほうが長いので、「汎読の力がつかないじゃん!」と思っている学生が出てきてもおかしくないんですけどね/(^^)\
メシは食べましたか
ちょっとおもしろい話があったのでご紹介します。
話し合いのときには、私は基本的に机間巡視をして、それぞれのグループの話を聞いて回っています。
今週、あるクラスでの「挨拶にはどんな種類がありますか」についての話し合いの時間に、「ごはんを食べましたか」という「挨拶」を挙げているグループがありました。
「吃了吗?(你吃饭了吗?の略)」のことを言っているのだとわかったのですが、ちょっと掘り下げてきいてみました。
私:これは中国語の挨拶ですか?
学生:そうです。
私:よく使いますか?
学生:まあ僕はあんまり使いませんが、北京の人がよく使います。
私:へえー!そうなんですか!
この学生(男子)、高校の頃から日本語を勉強していたので、大学2年生の前期に日本語能力試験N1に合格しているというつわものです。
(うちの大学では多くの学生が3年次に受験しますが、だいたい落ちます。)
ほとんどの日本語学習者が初めて勉強する一人称は、男女関係なく「私」です。
中級や上級、さらには超上級になっても「私」を使い続ける男性も多いです。
これが「僕」になっているあたり、余裕が感じられますね笑
自分が大学生だから「僕」でいいことも理解してるんだと思います。
私の反応がよかったことに気をよくしたのか、私が別のグループのところへ移ろうとちょっと離れかけたのに、まだ続けて説明をしてくれました。
学生:「ごはん」ということばを使っていますけど、ごはんを食べたかどうかはきいていません。”Hou are you?” と同じような意味です。
私:そうなんですか。ごはんには関係ないんですね!
学生:ええ。メシには関係ない。
ここでいきなり「メシ」なんて単語が出てきたので、思わず笑ってしまいました。
なんだろう、なんだかどきっ(ギクッ?)とした、というか。
「学習者」だと思っていた人から急に、日本人の男子大学生が使うようなネイティブライクな日本語が出てきたからびっくりしたのかなー。
ていうか、どこで覚えてきたんや。
たまにあります。学生からびっくりするような語彙(表現)が出てくること。
よほど不適切な使い方でない限り直しません。
というか、今回はびっくりするくらい適切な位置で使ってる気がします笑
クラスの前で発表するときじゃなくて、私と1対1で話してるときなので、なおのことです。
こういう思いがけないおもしろさがあるから、病みつきになるというか…。
大学・大学院時代の恩師のことばが思い出されます。
「だから日本語教師はやめられない」
ま、まだ私なぞ、ペーペーなんですけどね。
そのことばの意味が本当に実感できるのは、もっと経験を積んでからになるのでしょうね(^p^)
授業担当の変更
昨日、学科事務室へ行ったときに、見たことがないスーツ姿の若い中国人の女の人が来ていました。
その人が帰った後に学科主任にきいてみると、ほぼ確実に来学期からうちの学科で雇用される先生とのこと。
そうなると授業担当も変わってくると思ったらその通りで、私の担当は来学期「会話」(新1年生、新2年生)だけになるみたいです。
当初は、引き続きこの学年の「汎読」を担当することになっていたんですが…。
授業担当が減るのはありがたいことなのですが、せっかく顔と名前が一致してきた学生たちと、半年しか携わることができないのは寂しいことでもあります。
この新しい先生の雇用は、各先生方の負担軽減を考えての採用とのことなので、文句もなにも言えませんが;
4か月って短すぎやわー…。
せめて、最後の最後まで、全力で授業をするしかありませんね。
そろそろ期末試験も本腰入れて作ってかないとなー