かけ出し日本語教師 in 中国

28歳独女、中国で奮闘中です

中国で勤務校を変えました

もはや恒例のタイムワープ

前回の投稿からさらに1年以上経ちました。

あれですね、このブログは1年おきにしか更新されないんじゃないんじゃないですかね笑

開設したページを忘れすぎ問題…
 
前回は中国生活2年目が終わろうとしているところでしたが、なんとただいま、外国人ライフ4年目に突入いたしました。
その中で生活の拠点も変わり、環境もがらりと変化しました。
そこまでの経緯を書き残しておこうと思います。
 
今回の投稿は、
今まで中国の大学で働いてきたけど、別の大学にも勤めてみたいな
これから中国の大学で働くけど、途中で勤務校って変えられるのかな
という方の参考になりましたら幸いです。
そんなピンポイントすぎる人なんてかなり少数な気もしますが笑
 
(※以下、かなりのボリュームになってしまったので、最後の「中国で勤務校を変えるなら」という見出しまでジャンプしていただけると、本記事の考察部分が読めます。)
 

勤務校変更までの経緯

さて、タイトルにあるとおりですが、中国内で勤務校が変わりました。
3年間お世話になった最初の学校に別れを告げ、8月末に新しい土地にやってまいりました。
 
名残惜しかったですが、これも自分のため。
前任校の先生方もこの決断を応援してくれました。
つくづく、私は環境にも人に恵まれているなあと思います。

 

前任校に感じた違和感

私が中国の中で勤め先を変えようと思ったのは、前任校で2年が過ぎたころです。
中国人の同僚の先生方はどなたも私によくしてくださいましたし、学生たちも非常にまじめで可愛らしく、住環境に大きな不満もありませんでしたが、
漠然と、私このままでいいのかな?と考え始めました。
 
前任校は良くも悪くも、授業は教員個人に任されている部分が大きい学校でした。
教員同士での情報共有や相談の場が少なくて済むことは、確かに「楽」ではありました。
また、一人で一つの授業を担当することがほとんどだったので、一つの「科目」を作り上げるにはどのようなことが必要なのか自分で考える必要があり、かなり鍛えられたと思います。
 
ですが、
・学校(学科)としての方針や到達目標など、カリキュラムが示されていない
(あったとしても曖昧だったり公開されていなかったり)
・期末試験も成績評価も教員によって基準がまちまち   …などの点は、
 
新米だった私にとっては負担も大きく、ワンオペで授業を担当する中で自分の目標設定、授業方法、評価基準に妥当性があるのか、いつも不安でした。
それに、授業担当者によって教育(量も質も)が左右されてしまうことについては、学校に対して疑問もありました。
 
直属の上司である学科主任は仕事も速くすごく信頼できる人でしたが、学校の体制自体が緩く、上に問い合わせもらっても、知りたい回答が得られないこともしばしばでした。
 
それと、この大学では中国人教師と日本人教師が担当する科目がはっきり分かれていたので、授業に関する相談は必然的にもう一人の日本人教師にすることになりました。
ですが、その同僚は現役の高校国語教師として日本から派遣されてきていたので、「日本の国語教育・学校教育」のスペシャリストではありましたが、「外国語としての日本語を教える」こととなると、ちょっと自信がないようでした。
(この先生のことは心から尊敬しています!)
 
書いてみて思いましたが、私は、専門的なアドバイスがほしかったんですね。
それと、同じ立場で悩みを共有してくれる人もほしかった。
 
中国の地方都市に来ている時点でそんなことは不可能に近いのですが(そもそも日本人教員の数が少なく、若い日本人はさらに希少)、来た当初はそんなことは考えもしませんでした。
状況に不満ばかり言って、甘えといえば甘えですが…。

 

そうだ、新天地に行こう

考え出したら止まりません。

中国の日本語教育現場が知りたくてここに来たのに、このまま帰国したら、私にとっての「中国の大学」「中国の日本語教育」のイメージは、ここで経験したことに限定されてしまいます。

 

フリーダムすぎる職場にいるうちに、漠然とした気持ちが、私このままじゃだめだ!という確信に変わっていきました。

 単純に、別の都市で暮らしてみたいという気持ちもあったんですけどね笑

 

そんなことを考えながら5学期目(2年半)が終わり、冬休みの一時帰国がやってきました。

空港行きのバス発着所に中国人の同僚が送っていってくれた際の、車内での同僚の一言で、私は勤務校変更を決意しました。

 

もともとその同僚は勤務校に不満をもっていて、いつかは家族をつれて別の地方へ移ってやるんだと話していました。

先生(※私)も別の大学に行きたいなら、今から計画を立てて準備したほうがいいですよ

 

愛着のある学生たちや大学、お世話になった先生方を置いて中途半端な時期に出ていくのは後ろめたい気持ちもあったので、私はこの言葉で背中を押された気がしました。

着任当初は、最初に担当した学年が卒業するまで4年間いようと思っていたのですが、3年勤めて離れることにしました。

 

学科主任に報告

冬休みが終わって大学に戻り、すぐに学科主任にその旨を報告しました。

理由も正直に話しました。すると、

「まあこの学校にとっては損失になるでしょうけど、先生ご本人のことを考えたら、そうすべきだと思います」

と、なんともありがたいお言葉をいただきました。

 

さあ、離任の決意、報告をしたはいいものの、次の学校はどうやって探そうかなあ、ネットの募集を見ようか、知り合いに求人情報がないか聞いて回ろうか…

次の学期まで数か月しかないのにこんな調子でした。

 

というのも、中国の大学で日本語教師として勤務するのは、こちらにある程度条件が揃っていれば、また、大学の条件を選ばなければ、実はそんなに難しいことではありません

それについては、また近々記事を書こうと思います。

(これまでの投稿頻度からすると、限りなく信頼性が低いですね笑)

 

ご縁に次ぐご縁

報告から2週間経ち、私は中国で開催された、ある日本語教育系の研究会に参加しました。

その研究会は小さいながらも、日本語学や日本語教育学では権威のある先生方が何人もいらっしゃり、当日もはるばる日本から参加されていました。

 

懇親会で参加者50人ほどが10人ずつくらいで円卓を囲んで歓談したとき、私と同じテーブルにいらっしゃった二人の先生方の一人が、なんと私の修論の指導教授の博士時代の同級生でした。

すっかりその話で盛り上がり、もう一人の先生も私に興味をもってくださいました。

先生方の勤務校が、私の出身大学の近所にあることも原因していたようです。

 

もう一人の先生が、「そういえば、僕の指導生だった人(中国人の大学教師)が日本人の日本語教師を探してるんだけど、中国で次の大学探してない?いま連絡とれるんだけど聞いてみようか?」とおっしゃいました。

中国ではそれなりに知名度のある大学です。

これは逃しちゃいけないと思い、次の瞬間には「お願いします!」と言っていました。

 

先生がその場でSNSで連絡をとってくださり、履歴書を送る流れになり、書類審査が通り、ビデオ面接が決まり、面接に合格し、各種手続きを済ませ、あれよあれよという間に今に至ります。

(現在、新しい職場で働き始めて1か月が経過しています。)

 

あとからわかったことですが、この大学は私の出身大学と以前から姉妹校関係を締結していて、学院長(学科長)も大学時代、1年間の交換留学に来ていたそうです。

それもあって、私の採用を会議にかけたとき、「あの大学の出身なら大丈夫だよね」とお墨付きをもらったと聞きました。

 

初めて自分の母校に感謝しました。大学受験に失敗したと思ってたけど、これでよかったんだ。

いやー、それにしてもいろんなご縁があるなあ、世間は狭いなあ。

まあ、先生のご紹介だったっていうコネの力も否めませんが…!

 

スピード採用

3月1日に前任校の学科主任に退職の意思を伝えてから、4月2日に現在の勤務校の採用連絡をもらうまで、その間ちょうど1か月ほど。

今回は運がよかったからこんなに早く次の職が決まりましたが、私の過去の経験からしても、中国の採用ってだいたい急です

 

というか、スピード感があります。決めてからの行動がとにかく速いです。

あと、個人的には、担当者がどれだけレスポンスが速いかも決め手かな、とも思います。

(ところで、いつも「早い」と「速い」の使い分けに迷います。こんなんじゃ学生に説明できませんね…)

 

新任校

新任校は前述のとおりちょっと名の知れた学校で、全国から学生が集まってくるような、1学年200人以上いる大きな大学です。

また、中国の直轄市に指定されている地域にあるので、いわゆる都会の学校です。

 

そのため、1科目を複数の教員が担当し、常勤の日本人も私を含め4人もいます。

(しかも、市の規定で55歳以上?の雇用はビザが下りにくいので、みなさんお若い!)

地方の大学の日本人教師はだいたい1〜2人だと聞くので、大きな学校ならではという感じがします。

 

前任校では、「授業にかかわる全てを一人で考えることが不安で、誰かと相談してアドバイスを受けながら働きたかった」という意識がありました。

それが、ここに来て解消されることも多く、とても刺激の多い日々を過ごしています。

新しい働き方に戸惑うこともありますが、先生方と気軽に交流を持てる状況に身を置けることに、幸せを感じています。

 

お別れ

 ここまで、前任校の悪口ばかり書いてきましたが、決して悪い大学だったとは思っていません。

省の重点大学ということもあって学生たちはまじめで優秀でしたし、何度も一緒にうちで食事を作って食べたりお茶したり、誕生日会を開いてもらったりもしました。

先生方にも相当可愛がってもらいました。

 

いなかののんびりした雰囲気で暮らすのは、どいなか県出身者としてはとても落ち着く環境でした。

近所にはなじみの店もできて、顔を覚えてもらって毎度ちょっと話す仲になった地元のおじちゃんおばちゃんもいました。

 

こんなこと書いてたら帰りたくなっちゃった泣

最後には泣きましたよ、別れがつらくて!

私にとって、3年間暮らしたここは、間違いなく第3の故郷と呼べる場所です。

 

中国で勤務校を変えるなら

ざっとこんな感じで、前任校に違和感を覚えてから今の大学に移るまでを書いてみました。

冒頭で「~方の参考になれば…」なんて書きましたが、あくまでも私の事例なので、参考のしようもないかもしれません。

 

ただ、中国の地方と都市部、両方で採用された経験からお伝えできることは、

  • 地方に行くなら町にも大学にも日本人はそんなにいないしワンオペ授業になる可能性がある
  • 都市部や大きな大学なら複数教員で授業が担当できるし日本人も多いかも
  • 中国の大学で日本語教師の職を探すのはわりと簡単(おそらく日本語学校ならもっと容易)
  • どこの大学に勤め始めるにしても必要書類が多くてかなりめんどくさい

…といったことです。

 

最後の点についてですが、中国だって日本と同じで書類とハンコの社会です。

特に、外国人の雇用に関してはかなり厳しく審査されます。

中国の採用なんてテキトーでしょ?なんて思ってるやつ、出てこい。笑

この審査を晴れて通過したあかつきには、外国人教師として身分が保証されますのでご安心ください。

 

中国で働くの楽しいです。ほんと。これはまぎれもない事実です。

本記事が参考になりましたら嬉しいです。

 

長くなりましたがこのへんで!

今後はもう少し更新頻度を上げていこうと思います。(予定

2年目が終わる

時間旅行

というわけで前回の更新から1年が経ちました。

変わらず中国で大学生に日本語を教えています。

 

驚くことに、2期制のこの大学で4期目が終わるということは、すでに2年目が終わるということです。

ほんとにはやい。

 

成長

私の学生時代の専攻は日本語教育であったとはいえ、ほぼほぼ初心者で始めた日本語教師

2年前と比べると、私も少しは成長したと思います。

 

でも、それと比べものにならないくらい大きく変わったのは学生たちです。

まったくのゼロレベルだった子たちが、「国際結婚する親友にアドバイスする」という高度な会話ができるくらいになりました。

 

学生たちの熱意、勉強量、伸び幅には驚かされっぱなしです。

 

私の中国語レベルはというと…うん、まあ、あれですね。

初めて行く飲食店でもなんとか自分の希望を伝えられるというレベルですかね…

「○○(品名)ください」「辛いですか?」「辛いのは要りません」「アリペイ(ネット支払い)でもいいですか?」とかそんなもんですが笑

 

お土産

さて、あと1か月もしないうちにまた一時帰国のときを迎えるわけですが、この時期に悩むことといえば、やはりお土産選びです。

帰国は楽しみなのですが、それが少しばかり面倒だと感じています(^p^)

 

半年に一度日本に帰って、毎回会う人っているじゃないですか。

正直ネタ切れなんですよ。

「中国っぽいもの」って一体なんなんでしょうね笑

 

あるにはあるんですが、個人的には、

①持ち運びには適さないもの(鮮度や壊れやすさの関係)

②有名だけど自分が住んでいるところとは関係ない場所の特産物

③自分が見て怖いと思うもの

④明らかに体に悪そうなもの

といったものはお土産にできないかなあと思っています。

 

中国っぽいけどお土産にできないものの例

①豆皮(木綿豆腐の皮)、おもしろいフレーバー(キュウリ味とか)のポテチ

②上海とか北京の名物、福建省のウーロン茶

③鸡爪(鶏の足)、豚足、豚の顔、セミの幼虫

④よく学生たちがおやつにしてる真空パックの珍味(味付けと着色料が濃い、鶏の足とかイカとか豆腐とか)

 

あと、これは日本でもどこに行ったときでも同じですが、お土産を渡す相手が先生とかの場合は、包装(箱など)がしっかりしているかどうかも大事なポイントですね。

 

そんな感じで、お土産選びもなかなか大変な作業なのです。

今回はどんなものを買おうかなー。

海外の一人暮らしで風邪ひいちゃった話

サンタ(期末試験)がうちにやってくる

あと少しで今学期も終了でございます。

ということは、期末試験が近いということです。

が、この超絶やることがある時期にわたくし、大変なことになっていました。

 

忍び寄る影

発端は先週の木曜日。

喉痛いなー、咳が出るなー、と思い、マスクを装着して学科事務室へ。

学科主任は「あれ、風邪ひいたんですかw」と、なんだか愉快そうでした。

 

夕方の時点で頭痛や鼻のあたりがぼーっとする症状があったので思いました。

あ、これはくるな、熱が。と。

それを主任に伝えると、帰りがけに「何かあったら電話してくださいね」と声をかけてくれるという、なんともイケメンなお方です。

 

さて、その晩に予想通り発熱してからというもの、連日のごとく喉痛、咳、くしゃみ、鼻水、頭痛に悩まされ、特に土日は睡眠中の度重なる鼻水タイムが入り、寝不足→昼寝という流れで、昼夜が逆転しかけました。

今回、典型的な風邪の症状は全制覇したと思います。

 

で、期末ということは、あれです。期末試験があります。

無情にも、授業は毎週きまった曜日にやってくるもので、また、期末試験データの提出期限もやってくるものです。

頭ガンガン、咳ごほごほ、鼻水チ―――ンの中、通常の授業準備に加えた期末試験作成で、夜更かしも何度もしました。

 

そして、やりました。やってやりました

見事この地獄を乗り切って、今週の授業を終え、期末試験問題も提出しました…!

お疲れ私、ほんとによくやった。歓喜、狂喜、乱舞。

 

しかし、実は今日この水曜日の時点でも、まだ軽い頭痛と鼻水とエイリアンボイスは残っています。

月火水の授業では学生たちに心配をかけてしまいました。

マスク姿というより、あまりの異星人声に笑

 

あと、汚い話ですが、鼻水は黄色から透明に戻っていたのに、また黄色味がかってきました。

まさか、風邪のひき直し…?

 

滞在期間長すぎませんか

なんでこんなに長引くんだろうと考えると、思い当たることがありまくりますが、まず、不規則な生活をしていたことがいちばんの原因でしょう笑

 

それから、薬。

日本から風邪薬を持ってきていたので、飲んではいたのですが、あんまり飲むと眠くなって作業効率が落ちるかもしれないという考えが頭をよぎり、かれこれ1週間くらい風邪にかかっていますが、3回しか飲んでいません。

そりゃあ、治るもんも治らんわな。

 

そして、食事。

週末には買い出しに行かないとやばいかな、と思っていた木曜日。

結局、熱による無気力と忙しさから、今日まで買い出しに行きませんでした。

野菜を食べ切った後は何で食いつないでいたかというと、白米(お茶漬け、おじや)とか、買い置きしてあったヨーグルトとかです。

栄養失調になりそうなメニューですね笑

 

よく言うじゃないですか、風邪には食事、睡眠、アリナミン(古)。

薬、ちゃんと飲んでなかったですしね。

三つとも全滅だったんだもの、風邪への対処としては最悪のモデルでした。

風邪菌のロングステイも頷けます。

 

アリナミンのCMが流れたころ、私は中学生でした。

保健体育の期末試験で、「風邪をひいたときに大切なことを三つ挙げなさい」という問いに、「食事、睡眠、アリナミン」と答えた猛者がいたと風の噂で聞きました。)

 

中国のコンビニ

私は「教師生活区」という、学校関係者が住むアパート(教師寮)が何十棟も立ち並ぶ、小さな町のような区画に住んでいます。

この中には小さな公園、軽食店、電気修理屋、八百屋、学生が授業につかう運動場などもあります。

 

それから、私の部屋から徒歩2分くらいの近所に「コンビニ(中国語:便利店)」と呼ばれる小さな売店があるのですが、その様子は日本のものとはいろいろ違っています。

まず、23時ごろ閉店します。

 

店を一言で表すと、「野菜の置いていない、品揃えの少ない小さなスーパー」とでもいいましょうか。

遠くへ買い物へ行くのが面倒な人が利用したり、急に必要になったもの(文房具とか洗剤とか)を買ったり、という点では、その役割は日本のコンビニと共通するところがあると思います。

宅配便の荷物の一時預かりもしてくれます。

 

ただ、日本のコンビニにあるような、風邪薬とか経口補水液(OS-1)とか、すぐに食べられる体に優しいものなどは売っていません。

すぐ食べられるものの代表格インスタントラーメンは置いてありましたが、さすがに、お粥のように胃に優しい食べ物ではないですよね;

 

というわけで、今回の風邪では「コンビニ」を利用することがありませんでした笑

 

中国にも、24時間営業している、日本と同じような形態のコンビニはあります。

しかも、セブンイレブンとかファミリーマートとかじゃなかったかな。

こういった日本式のコンビニは、北京上海などの大都市にならあるそうです。

 

しかし、私の住んでいるところは、地方都市寄りの田舎です。

夜中までやっている店はほとんどありません笑

だいたいの店は朝早ーくから営業してるんですけどね…

 

なんか日本と「朝」(というか時間)に対する感覚が違う気がする。

みんな朝早すぎだよ!町が動き始める時間が早すぎだよ!

休日の待ち合わせ指定が基本8:30とか早いよ!!

 

おひとりさま風邪

大学+大学院の6年間は(ほぼ)一人暮らしをしていたので、その間、風邪や熱を出したことは何度かあります。

インフルエンザにかかったっぽいこともありましたが、つらすぎて自宅から出ることができず、病院へ行ったのは症状がおさまってからでした。

 

そんなこんなで、今までそれでなんとかなってきたという経験から、一人暮らしで風邪をひくことに対して、毎回、不安を覚えることはありません。

現在は海外で一人暮らしをしていますが、熱を出しても不思議と焦ることはありませんでした。

いや、もっと焦ったほうがよかったのかもしれないけど(^p^)

 

学生時代は、実家から車で2時間という、わりと近いところに住んでいました。

体調不良を隠すこともなく、母にはその都度報告していましたが、一度も来てもらうことはありませんでした。

頼めば来てくれたんだろうけど、次の日仕事があるのに弾丸じゃ来させられないという気持ちがあったので、正直死にかけたこともありましたが(笑)来てほしいとは言えませんでした。

 

そんなこんなで、風邪=治るのを一人で待つ、みたいなイメージです。 

 

今回、病院へつれて行ってくれると申し出てくださった先生もいましたが、これまで風邪で病院に行ったこともないし、なおかつ海外で病院にかかるのは極力避けたかったので、自宅で安静にしていることを選択しました。

ズボラ一人暮らしなので、食事、睡眠、アリn…をスキップしてしまうくらい、対処は最悪でしたけど笑

 

 

 

いつか風邪が原因で命を落とすことになるかも、風邪のことなめすぎかな;

とにかく、早く治したいので、ちゃんとごはん食べて、寝て、お薬飲むことを心掛けたいと思います。

 

海外へ行かれる方は、現地の薬は強すぎることがあるので、そこに売っているから大丈夫だと思わず、日本で買って持っていったほうがいいと聞きました。

一人で滞在する場合は、食料を調達してきてくれるなどの頼れる存在があると、さらに安心ですね。

 

風邪ひかないことがいちばんなんですけどね!

メシには関係ない

つゆ

日本では梅雨真っ盛りみたいですが、中国で私が住むこの地域には、なんと梅雨がありません。

私の生誕26周年祭(笑)が先月末にあったわけですが、日本にいると、だいたいこのあたりから梅雨入りです、残念賞。

 

雨の日はテンソンだだ下がりなので、梅雨の時期を過ごさなくていいというのは、なんとも嬉しい限りです。

昨日も今日も快晴ですわーーい。

ただし、こちらで迎えた初の誕生日は運悪く雨のち曇りでした。

どのみち雨からは逃れられない運命のようです笑

 

汎読

本日は、私なりの「汎読」授業のやり方を整理してみます。

自己満のためのブログですからね笑

とにかく書き出してみたいと思います。

 

私は今学期、1年生の「初級日本語会話」以外にも、2年生の「日本語汎読(はんどく)」(中国語:日语泛读)という授業も担当しています。

「汎読」とは、日本語では「多読」「通読」にあたります。

 

日本の高校での英語の授業を思い出していただけるとわかると思うのですが、単語や構文の形を一語一句調べて細かく読んでいくのが「精読」で、それに対し、「多読」はそういった作業をせず、細かいことは気にしないでとにかく次へ次へと読んでいく読み方のことを指します。

私が担当しているのは、それの日本語バージョンです笑

 

私は、どの授業でもコミュニカティブ(communicative)な場面が必要だと考えています。

たとえそれが「作文」の授業であっても、少しでも目標言語(ここでは日本語)でコミュニケーションをとりながら学習すれば、より言語習得の役に立つと思うからです。

それに、読んでばかり、書いてばかりの授業では、学生たちも退屈で学習意欲も下がってしまいますしね;

 

なおかつ、学校のカリキュラムの関係上、「会話」の授業は週に1回だけなので、学生たちはなかなか日本語で会話をするときがありません。

(しかも、この2年生の「中級会話」を担当している日本人教師は「精読」よりも「精読」のような「会話」授業をしているというので、なおさらです)

 

学生たちが自分で会話の練習をする時間をとっているならいいのですが、忙しい学生たちはなかなかそうもいきません。

「自分の言いたいことを話す」ための時間を意識的に作らないと、いつまでも教科書で見たことしか話せないままになってしまいます。

どうしたら自由度の高い授業にできるのか、日々模索しています。

 

レッツ・ファンドゥー(泛读)

いくらコミュニカティブな授業を目指しているからとはいえ、この授業の目的は「汎読」をしてもらうことなので、そこは外せません。

 1.わからない単語は気にしない!

 2.調べた単語は無理に覚えようとしない!

 3.すべてを理解しようとしない!

 4.問題を解くための精読とは区別する!

という四つのルールに従って、さっと読んでいってもらいます。

(このルールはTOEIC攻略のための多読のサイトからいただいてきました。)

 

ただ、どれだけ口酸っぱく言っても、どの学生も高校まで精読ばかりしてきた経験があるので、全部の意味を翻訳しながら読まないと気が済まない学生も多く、教科書にびっしりと書き込みをする子もいます。

そこは日本人と同じです笑

 

なかには、授業のときスラスラと読めるように予習してくる学生もいます。

そのとき初めて読むんじゃないと意味がないので止めるように注意はするのですが、なかなか全員には浸透していません;

だいぶ、授業の趣旨をわかってきた学生も増えたように思いますが…。

 

この授業では、4~5分くらいで読み切れる短い読み物を集めた教科書を使っているのですが、だいたいの学生が黙読を終えたころを見計らって時間を切り、ここで初めて、本文の読み方や語句、文章の意味を確認します。

 

そして次に、「話し合い」の時間に入ります。

この時間が、どんなに簡単な答え方でも、自分のことばを使って、日本語で説明する機会になれば…と考えています。

話し合いのために、一つの読み物に対し二つほど、その内容に関連した設問を作っています。

もちろん、設問は何でもいいわけではなく、学生たちからよりたくさんの意見が出そうな、しかも今の学生たちのレベルで答えられそうなものを考えます。

 

例えば、今週の読み物は「挨拶」に関するものだったので、

【1.挨拶にはどんな種類がありますか。】

【2.挨拶をすると、どのような効果がありますか。】

といったものを提示しました。

 

1人で考えても答えが出ないこともあるので、私が指定した3~4人のグループで話し合う時間をとり、話し合ったものを発表してもらう、という形をとっています。

それまではつまらなそうな顔をしていた学生も、話し合いの時間になるといきいきとした表情になるのが、私にとっても救いです笑

 

はじめのうちは私も「日本語を使う機会を多く作らなきゃ!」と意気込むあまり、学生たちに「日本語で話し合いをしてくださいねー!」と言って回っていました。

ですが、最近は「これは汎読の授業なんだし、いろんな新しい日本語のことばに出会う機会になればそれでいっか」と思うようになってきたので、学生たちの、中国語で話し合う→そこで出てきたわからない単語をネットで調べて日本語に直す、というスタイルも容認しています。

(指示が統一されてないから学生の混乱を生んでるかもしれないな…)

 

汎読をする時間もそこそこに、話し合って発表してみんなの意見を聞いて…という時間のほうが長いので、「汎読の力がつかないじゃん!」と思っている学生が出てきてもおかしくないんですけどね/(^^)\

 

メシは食べましたか

ちょっとおもしろい話があったのでご紹介します。

 

話し合いのときには、私は基本的に机間巡視をして、それぞれのグループの話を聞いて回っています。

今週、あるクラスでの「挨拶にはどんな種類がありますか」についての話し合いの時間に、「ごはんを食べましたか」という「挨拶」を挙げているグループがありました。

 

「吃了吗?(你吃饭了吗?の略)」のことを言っているのだとわかったのですが、ちょっと掘り下げてきいてみました。

 私:これは中国語の挨拶ですか?

 学生:そうです。

 私:よく使いますか?

 学生:まあ僕はあんまり使いませんが、北京の人がよく使います。

 私:へえー!そうなんですか!

 

この学生(男子)、高校の頃から日本語を勉強していたので、大学2年生の前期に日本語能力試験N1に合格しているというつわものです。

(うちの大学では多くの学生が3年次に受験しますが、だいたい落ちます。)

ほとんどの日本語学習者が初めて勉強する一人称は、男女関係なく「私」です。

中級や上級、さらには超上級になっても「私」を使い続ける男性も多いです。

これが「僕」になっているあたり、余裕が感じられますね笑

自分が大学生だから「僕」でいいことも理解してるんだと思います。

 

私の反応がよかったことに気をよくしたのか、私が別のグループのところへ移ろうとちょっと離れかけたのに、まだ続けて説明をしてくれました。

 学生:「ごはん」ということばを使っていますけど、ごはんを食べたかどうかはきいていません。”Hou are you?” と同じような意味です。

 私:そうなんですか。ごはんには関係ないんですね!

 学生:ええ。メシには関係ない

 

ここでいきなり「メシ」なんて単語が出てきたので、思わず笑ってしまいました。

なんだろう、なんだかどきっ(ギクッ?)とした、というか。

「学習者」だと思っていた人から急に、日本人の男子大学生が使うようなネイティブライクな日本語が出てきたからびっくりしたのかなー。

ていうか、どこで覚えてきたんや

 

たまにあります。学生からびっくりするような語彙(表現)が出てくること。

よほど不適切な使い方でない限り直しません。

というか、今回はびっくりするくらい適切な位置で使ってる気がします笑

クラスの前で発表するときじゃなくて、私と1対1で話してるときなので、なおのことです。

 

こういう思いがけないおもしろさがあるから、病みつきになるというか…。

大学・大学院時代の恩師のことばが思い出されます。

「だから日本語教師はやめられない」

 

ま、まだ私なぞ、ペーペーなんですけどね。

そのことばの意味が本当に実感できるのは、もっと経験を積んでからになるのでしょうね(^p^)

 

授業担当の変更

昨日、学科事務室へ行ったときに、見たことがないスーツ姿の若い中国人の女の人が来ていました。

その人が帰った後に学科主任にきいてみると、ほぼ確実に来学期からうちの学科で雇用される先生とのこと。

 

そうなると授業担当も変わってくると思ったらその通りで、私の担当は来学期「会話」(新1年生、新2年生)だけになるみたいです。

当初は、引き続きこの学年の「汎読」を担当することになっていたんですが…。

授業担当が減るのはありがたいことなのですが、せっかく顔と名前が一致してきた学生たちと、半年しか携わることができないのは寂しいことでもあります。

 

この新しい先生の雇用は、各先生方の負担軽減を考えての採用とのことなので、文句もなにも言えませんが;

4か月って短すぎやわー…。

 

せめて、最後の最後まで、全力で授業をするしかありませんね。

そろそろ期末試験も本腰入れて作ってかないとなー

大好きなのはヒマワリの種

まずお詫びを

ブログ名を改めましたが、改めた時間がわりと夜だったのもあり、ある方のブログタイトルの丸パクリ状態になってしまっていることに、先ほど気づいて盛大に青ざめました。

 

この場をお借りしてお詫び申し上げます(;_;)

 

しかしながら、今のところなかなか自分の状況にピタリとくるものが思いつかないので、また思いつき次第、改名したいと思います>_<

 

レンタル自転車に乗ってみた

昨日から端午節休暇(木・金・土)のため、授業はお休みです。

今日は学生2人と一緒に、レンタル自転車で海まで行ってきました。

市内の至るところに貸し出し用の自転車が設置されていて、前々からその存在は気になっていたのですが、今日はとうとうそれを使える日がやってきました。

 

使い方は簡単、お手軽、便利。

まず、ケータイで支払いアプリ(※)を起動し、一台ごとに自転車スタンドについているQRコードをスキャン。

(※「支付宝(zhi fu bao)」:たぶん中国で全国的に使われているアプリで、ネットショッピングはもちろんのこと、飲食や買い物の店舗支払いの際や公共料金の決済などにも幅広く利用されている)

次に、自分の決済用の登録番号(暗証番号)をケータイ画面に入力。

すると、自転車のロックが解除されるので、レッツ ライド オーン。

 

使用開始30分以内なら無料、その後は30分ごとに5角(=0.5元)ずつ加算されていくそうです。

今日のレートで1元=16.27円、3時間使っても2.5元です。

めっちゃ安い。

 

しかも、あちこちに自転車スタンドがあるので、同じ会社のスタンドなら、どこでも返却OK。

もちろん、借りた場所で返すことも可能です。

今日は行きに1時間以上かかって疲れてしまったので、海に着いてから自転車は最寄りのスタンドに返却し、帰りはバスに乗って帰ることができました。

 

欠点は、返却できる台数に限りがあるので、満車状態だと返却できずに右往左往する事態が起こる可能性があることです。

実は、今日それで自転車返せないじゃん/(^^)\となったのですが、幸いそこは地元の数少ない観光地だったため、スタンドが道を挟んだ反対側にも設置されていて、そこに返すことができました。

 

道を横断するためには地下道(自転車などのためのスロープなし)を通るしかなかったので、ガッタンガッタンさせながら階段を下りてから、自転車本体を持ち上げながらえっさえっさと階段を上りました。

自転車を返却するころには、まだ海に着いてもいないのにみんな疲労の色がにじみ出まくりでした。

帰りがバスだったのは、そのせいでもあります笑

 

休暇中のため観光客でごった返していましたが、無事に海辺を散策し、海風に当たりながらベンチでお話をして、帰途につきました。

バスを降りてから火鍋の店で昼食をとり(辛くないスープを注文)、近くの服装城(アパレルショップばかり入った建物)でウインドウショッピングをし、解散の流れになりました。

 

とっとこーはしるよハム太郎

最後に、私がスーパーに寄ってから帰ると言うと学生も店までついてきてくれたので、ついでに、おすすめのお菓子をきいてみました。

一人はノンフライのポテトチップス、そしてもう一人はヒマワリの種をおすすめしてくれたので、両方買って帰りました。

 

ベトナムに行ったときも、ヒマワリの種は老若男女問わず暇つぶしにつきもののスナックだったのですが、中国でもよく食べられているようです。

どのスーパーにもコーナーが設けられ、おつまみ売り場にわんさか売っています。

 

ただ、カフェをのぞくとほとんどの人がヒマワリの種をつついている印象だったベトナムと比べると、ここではそこまで多く食べられているわけではなさそう。

あくまでも好みによって、買って自分の家でつつくもの、みたいな感じでしょうか。

ベトナムも、最近のおっしゃれーなカフェとかでは違ってくるのでしょうが笑

 

ヒマワリの種とかハム太郎やん

思い出したときから、今日の脳内BGMはとっとこハム太郎です。

 

今もPCの前で食べてます。

食べ出したら止まらない☆ かというと、残念ながら私はそうでもないです。

 

日本で製菓材料やおつまみとして売ってるのとは違って、これは殻つきです。

かたいので、歯でパキッと殻を割ってから中身を出して食べます。

種の端をつまみながら奥歯で殻を割り、一度手の上に出して殻と身の部分を選別し、やっと一粒食べることができる。

 

久々に食べて思いましたが、可食部少なすぎ

品種にもよるのかもしれませんが、中身が小さいんですよこれが。

おいしいけど、食べるまでにそこそこの労力を要するわりには、達成感を味わえない。

先学期、初めてザクロを食べたときも同じようなこと思ったなあ。

 

しかも「パキッ」の力加減を間違えると、中身を見事粉砕

初心者には食べにくいことこの上ないスナックです。

 

ベトナムのカフェにいたおじちゃんたちとか、私と一緒にいた大学生の女の子たちとか、どのお客さんも種を一回口の中に入れただけで、あとは殻だけ床にポイポイしてたけど、なんであんなに器用なことができるんでしょう。

まああれですよね、キャリアが違うんでしょうね、ヒマワリの種歴の。

 

今回はいきなり大袋に挑戦せず、一回り小さいのを買ってよかったと思いました。

それでもまだ大量に残ってるけど、全部食べ切るまでにどんだけかかるんやろうなー。

 

 

はい、そんなわけで、

今日はレンタル自転車とヒマワリの種と、とばっちりでザクロをディスっただけの記事になりました。

 

再度お伝えしますが、ヒマワリの種がまずいと言っているのではありません。

ナッツみたいでおいしいです。一粒ずつはあんまり食べた感じしないけど笑

また、この手間も含めて味わってみたいという方は、ぜひ殻付きをお試しくださいませ。

中国の教師の生存競争

学生たちの競争率の高さ

昨日は中国全土で「高考(gao kao)」という大学受験前の統一試験が行われました。

ということで、去年高校3年生だった1年生に授業できいてみました。

「みなさんも去年受けましたか?」――「はいー!」

「大変でしたか?」――(一段と大きな声で)「はいー(>_<)!!」

どうやら、かなり大変だったご様子。

 

中国の大学生たちの勉強量の多さには目を見張るものがありますが、小さい頃から強制的に勉強する環境があったようです。

特に高校時代の起床時間を聞くと、どの学生も大抵、朝の自習のために5時や6時に起床していたそうです。

ほとんどの学生が中学校や高校から寮生活を始めるので、集団生活のためそうせざるを得なかったとか。

中には4時半という驚愕の起床時間を実施する高校出身の子もいました。

 

中国では(正確な名称は知りませんが)将来的に北京や上海などの都市部で生活するための「ポイント制」が採用されています。

都市での生活ができるというのは、水準の高い、良い生活ができることを意味しているようです。

物価の高い都市部でも生活できるだけの良い仕事をしている、ということにもつながると思います。

 

北京や上海に生まれた(戸籍がある)子は将来、簡単に都市部に住むことができます。

(確か、もともと「ポイント」を高くもっていると聞いた気がします。)

 

しかし、地方出身の子はその「ポイント」を獲得していかなくてはなりません。

「高考」の成績、出身大学のランク、取得した資格のレベル、就職した企業(職業)の社会的地位などがすべて「ポイント」に関わってくるそうです。

(国民の多くが漢族ですが、都市部進出の難しさからか、少数民族の場合あらかじめ追加の「ポイント」が与えられているとも聞きました。)

 

そんなわけで、学生はみんな将来良い生活をするために、大学生になった今でも、かなり真面目に勉強に励む子が多いです。

親の望みもあると思います。

もちろん、なかなか勉強しない子もいますが、数年前まで大学生だった私としては、学生全体の「ガリ勉ムード」に圧倒されています。

日本の大学生ってこんなに勉強しないし(^ω^;)

 

きのう聞いて衝撃的だったこと

前置きはさておき、昨日は学科事務室に用があったので行ってきました。

そこで一人の先生とお話ししたことが、私にとってはかなり衝撃的でした。

 

中国では学生たちの生存競争がとても激しいのは知っていましたが、先生方もかなり厳しい世界に生きていることがわかりました。

考えてみれば、確かに、これだけ人口の多い国なんですから、教師の数が多いのも当たり前ですよね…。

 

まず、何に驚いたかというと、教員の等級が細かく分けられているということ。

講師 → 准教授 → 教授

の順番に上がっていくのは想像できましたが、准教授も教授も等級が4段階に分けられていて、この大学ではその審査は3年ごとに行われるんだそうです。

充分な業績がなかったら降格もあるんだそうで/(^^)\シビアだなー。

 

業績によって審査結果が異なるのは日本でも同じだと思うのですが、その条件が厳しすぎる!

年間1~2本の論文を雑誌に掲載させる、翻訳などの著作を発行するなど、私が知っていた日本の大学教師より、必要な研究業績の発表間隔が短いみたいです。

 

また、当然、給料もその等級によって異なり、発表した論文が掲載された雑誌のランクによっても、もらえる奨励金の額に大きな差が出るのだとおっしゃっていました。

最近、副学部長の論文が国際的な教育雑誌に掲載されたそうですが、その報酬額は2万元(約32万6千円)だったらしいです。

そして、担当する教科によっても給料が違ってくるというから驚きです。

 

ただ、最近、中国の大学で全国的に問題になっているのは、その雑誌が国際的に有名かどうかという「雑誌のランク」が重視されすぎるあまり、「論文の質」自体は問われなくなってしまっているということだそうです。

それだけ大きな雑誌に載るということは、ある程度は高度な論文になるとは思いますが、大学教師の審査基準を見直すべきだという動きが高まっているとお聞きしました。

 

この先生は、この大学での勤務年数が15年くらいになり、小学生の双子のお子さん(男の子)を育てているお母さんなのですが、子どもたちが学校に行っている間は必ず事務室にいらっしゃり、授業のことはもちろんのこと、ご自分の研究にも精力的に励んでいらっしゃいます。

今の等級は准教授の第2級(上から2番目)だそうなので、毎年かなりの業績を積んでこられたことがわかります…。

 

学科の先生方との接点なさすぎ

ところで、うちの大学(この学科?)は学科事務室に行って仕事をする義務がなく、いつも決まった2名の先生方しか事務室にいらっしゃることがありません。

教員のランク付けの話を聞かせてくださった先生は、そのうちの一人でした。

つまり、学科に在籍する他の先生方にはほとんどお会いしたことがないということです。同僚なのに笑

 

かくいう私も、事務室には1週間に1度、行くか行かないかの頻度です。

家のデスクで授業の準備をして、教室に行って授業をして、終われば家に直帰する。

1週間、ほとんど家と教室の往復で完結してしまいます。

 

おそらく、お会いしたことのない先生方にしてみれば、私のことは、「去年えらく若い外国人が雇われたんだなー」ぐらいにしか思われてないんじゃないかと思います。

概して、ご自分の授業(生活)と関係のないことには関心がない方が多い印象です。

20人ほどいる学科の先生のうち、まともに話したことがある先生は7人くらいです。

 

着任時に歓迎会が開かれたわけでも、学期終わりにお疲れさま食事会が開催されるわけでもありません。

また、私が呼ばれるような学科行事にいらっしゃる先生方はいつも決まった先生ばかりなので、新しく交流をもつことができる機会も、今のところありません。

 

それに、前回までにもたびたび登場しているもう一人の日本人教師にも、これまで、「事件」前にも、あまり話す機会がありませんでした。

だってまあ、父と同じくらいの年齢の方ですしね…。

日常生活で頻繁に交流するほうが難しいんじゃないかと思います笑

 

(「事件」についてはこちらの後半部分をご参考のこと)

travel-teapot.hatenablog.jp

 

しかも、来学期はほぼ確実に次の先生こーへんし(´;ω;`)

日本人教師おらへんやん。

 

私のささやかな夢は、できれば日本人教師と、いろいろ相談したり教育談義に花を咲かせたり、日々のいろいろな悩みなどを共有することです。

(私ってめんどくさいやつなんでしょうか笑)

 

まだまだ先のことになりそうだなー…。

しょんぼりです。

知り合い

タイトルに困ったので

本日のタイトルは、覚えたての中国語です。

昨日の初級会話(1年生)の授業で、「○○しか~ません」(例:2人しかいません)という答えを想定して「日本人の知り合いがたくさんいますか。」という質問を投げかけました。

「知り合い」という語は未習だったので、簡単に「私はみなさんを知っています。みなさんは私を知っています。知り合いです。」と説明したあと、「中国語で何ですか?」ときいてみました。

みんなから口々に「ren shi」とか「ren shi de ren」とか、同じようなのが返ってきたので、わかってくれたようだな、と先に進めることにしました。

授業後に、学生たちから聞いた「音」を頼りに、ケータイにピンインを入力して確認してみましたが、うまく変換できたので、やはりこれでよかったみたいです。

 

知り合い:认识,认识的人

 

学生たちに、私は「中国語のできない日本人」として認識されているので、このように授業中に中国語の単語や発音を教えてもらうことがちょいちょいあります。

みんな親切心から、毎度ゆっくりはっきり発音して教えてくれます。

というか、私の変な発音を聞いておもしろがっているようにも見えます笑

 

一大事件発生

おととい、ここに来てから私にとって最大の事件が起こりました。

結論から言いますと、来学期、この大学の日本人教師は私一人になります

学科主任から電話でそれを聞かされたときの衝撃ときたら…驚きのあまり、驚くのを忘れるくらいでした。

 

この大学にはいろいろと問題行動の多い同僚の日本人教師が一人いるのですが、彼はたびたび、伝説ともいえる事件の数々を残してきました。

しかし、今回ばかりは、単に「事件」では片づけられない問題を起こしました。

というか、問題どころじゃありません。犯罪です。

 

誰を撮っても盗撮は犯罪です

彼が何をやらかしたのかというと、盗撮です。

もちろん、対象が誰であれ盗撮はいけませんが、百歩譲ってまったく無関係の人を撮るならまだしも、学生を盗撮したというのですから許せません。

しかも、以前からかなり常習的にいろいろな一般女性を隠し撮りしていたようです。

被害に遭った学生と一緒にいた学生が私の家に来たときに、防犯カメラの映像を見せてくれましたが、とても手際よく撮影しているのが確認できました。

 

今回のことは、学生(女子)2人とその教師の国内旅行中に発覚しました。

その教師は各地の博物館をめぐるのが趣味なのですが、発覚の発端となったのは、ある博物館の中でベンチに並んで座り、映像資料を視聴していたときとのこと。

暗がりの中でいきなり隣でフラッシュが光ったので、不思議に思った学生が先生のほうを見ると、手に持っていたカメラが学生のほうを向いていたというのです。

 

その日の学生の服装は、上から下まで前面をボタンで留めるタイプのロングワンピースだったとのこと。

カッターシャツとかでもそうですが、ボタンが縦並びの服って、横から見ると(場合によっては正面から見ても)服の中身が見えてしまうことってありますよね。

この学生もそこまで気が回らなかったようで、うっかりボタンとボタンの隙間から下着が覗いてしまっていたようです。

しかも、座っていたので上だけでなく下の下着まで見えていたらしく、先生のカメラは学生の股間を向いていたとか。

 

もう一人の学生が帰りのバスで問いただすと、一気に顔面蒼白になり、「いや、撮りましたけどあなたたちじゃありません!別の人です!いえ、撮っていません!撮りましたけど消しました!」など、非常に動揺した様子で、しどろもどろで支離滅裂な言い訳をしたといいます。

 

そして学生が先生から離れ、バス車内の別の席へ移動して座っていると、これまた苦しい釈明のメッセージが届いたそうです。

「あなたたちを不快にさせたことは謝ります。しかし、誤解しているようです。私は普通の中国人の姿を写真に撮っています。あなたたちの写真も撮っています。その過程で写り込んでしまった不適切な写真は、その都度消去しています。」

「今回の旅行の写真はすべて消してしまいました。」

学生たちはそのメッセージには返信しなかったと言っていました。

 

原因は教師だけにあるわけじゃないけど

今回のことは、もちろん学生の側にも非はあります。

危機管理意識が低すぎです。

仮にも相手は男性なのですから、服装にも、そして一緒に旅行へ出かけること自体にも、充分に注意を払う必要がありました。

 

ですが、学生たちの意識が低くなってしまうのには、理由があります。

この学校の歴代の日本人教師はみんな「おじさん先生」「おじいさん先生」ばかりで、とても優しく親切な、問題を起こすような教師ではなかったと聞いています。

これまで、多くの学生たち(大半が女子学生)が、この教師を含む何人もの日本人男性教師と旅行をともにしています。

また、中国ではこの教師のような50代半ばの男性はすでに「初老の男性」と見なされるそうで、「真面目な日本人のおじさん先生」からセクハラを受けるなど、考えもしなかったようです。

 

なおかつ、被害に遭った学生は本当にこの教師のことを心から信頼、尊敬していたので、疑うことなど思いつきもしなかったことでしょう。

それを最悪の形で裏切られることになり、学生の負った心の傷の大きさたるや、計り知れません。

 

この不祥事の後、事件を知った別の学生たちが私の家に来ました。

この学生たちも、問題の教師とは頻繁に会って食事したり、何度か旅行したこともあるのですが、

「自分たちも先生の前で服装に気をつかったことは一度もないし、旅行するのに注意しようなど考えたこともなかった」

「自分たちも先生からそんな目で見られていたり、不良写真を撮られていたかもしれないと思うと、本当に怖くなった」

ということを話していました。

 

信じていた人に裏切られる気持ちって、どんな感じなんだろう。

 

私はまだまだ経験の浅い教師ですが、言いたいことがあります。

教師は、学生(生徒)を不安にさせるようなことをしてはいけない。

もし、この件が学生たちの思い違いであったとしても、学生たちがその教師の言動のおかげで、かなり不安な思いをしたことは、まぎれもない事実です。

 

自分もこれまで数々の失敗をしてきましたが、日々の言動にもっと気を配らなければならないな、と考えさせられました。 

 

動いてくれる人は少ない

一緒に旅行していた学生はどうしても先生のことが許せず、大学側に、その教師の解雇を求めました。

しかし、はじめに相談した学科主任も、(私たち外国人教員を管轄している)大学の国際交流部も、あれこれと理由をつけてなかなか動いてくれなかったとか。

 

学生が今回の件で何がいちばん驚いたかというと、大学の対応についてだそうです。

指示通り、何が起こったかをパソコンで打ち出して報告書を提出することはしたそうですが、そこからの大学の対応がかなり遅い。

学生の身の安全を守る存在であるはずの大学が、どの部署も自分の利益を守りたいがために、事態を大きくしたくない、めんどくさがっている態度がまるわかりだったといいます。

 

学生は「もう少し待ってもまだ学校が動いてくれないなら、証拠の防犯カメラ映像を警察に出します!」と言って帰っていきました。

警察まで出動したら国際的なニュースになって、彼は一躍、時の人になりますよね笑

 

急展開

しかし、なんとその次の日、学科主任から私に電話があり、「さっき彼から電話があったんですけど、今学期いっぱいで退職するそうです。」と告げられました。

退職理由は「体調不良」とのこと。

 

国際交流部の処置を待っていた段階でしたが、その決断を待たず、自分から退職する形をとったようです。

確かに、解雇されたという経歴が残れば、帰国後の職場復帰(確か高校)も難しくなるでしょうし、依願退職なら、自分のしたことを教育委員会から追及される可能性も低くなるでしょう。

リスクを最小限に抑えたご判断かと。

 

ちなみに、私はただの一(いち)外国人教師なので、このような大きな判断を学生たちに伝える立場にありません。

学生たちは、来学期に授業担当者を見るか、風の噂で聞くことで知ることになるでしょう。

 

残された身

中国の新年度は、日本の4月始まりとは異なり、9月(8月末)からです。

6月の今は、学年度末にあたります。

 

日本と年度の始まりが違うということは、こちらの新学期に向けて新しい日本人の教師を探そうと思っても、タイミングよく来学期から来てもらえる人が見つかる可能性は非常に低いということです。

 

そうなると、必然的に日本人教師は私一人になりますし、それに合わせて他の先生方の授業担当も考え直さなくてはいけないし、その結果、開講授業の種類も減ってしまうという事態が起こっています。

 

そして、私の来学期の担当授業がめっちゃ多くなった/(^^)\

今からもう、来学期ちゃんと生き延びられるかどうか自信がないです笑

 

というか、いちばんの被害者は残された学生たちです。

私しか日本人がいないということは、それだけ、学生たちが得られる生の日本語のインプットが少なくなるということです。

そうなると、「私の日本語」が学生たちのすべてになってしまう。

 

 

私の責任が今まで以上に重大になって、非常にプレッシャーを感じ、追いつめられた気分になっている

ということが、現在私の中で最も強い気持ちです。

 

まあ私にできることをやっていくしかないですね。

poco a poco、ケ・セラセラですね。